教員紹介 情報アーキテクチャ学科
美馬 義亮 (准教授)
Yoshiaki Mima- ■所属学科:
- 情報アーキテクチャ学科
- ■専門分野:
インターネットテクノロジー、ユーザインタフェース技術
- ■担当科目:
プログラミング言語論、プログラミング演習、ウエッブテクノロジー、システム管理方法論、 ほか

プロフィール
15年ぐらい一貫して、コンピュータを使いやすくすること、人間の役に立つために使う方法を考えつづけてきました。
思えば、技術的なトピックスの変化は大きいですがコンピュータを使う人間の方は微動だにしません。この対比がとても面白く感じます。
最近はThinkingSketchという人間が絵を各作業を助けるためのプログラムの開発を行っています。興味があれば 研究室のページもご覧ください。
・最終学歴:東京大学大学院
・学位 :修士(理学)
・前歴 :函館圏公立大学広域連合嘱託(日本IBM東京基礎研究所)
・着任時期:2000年4月1日
仕事の紹介
[現在の興味]
今、興味をもっていることは、人間が生活のための手段を手に入れたあと、生きて行くのに困らなくなったとき、いったい何をするのだろうかということです。この不況のなかで、あ
るいは戦乱の中で飢餓の中にいる人たちが現実にいることも考えなければならないのですが、このような時代も終わり、人間に必要な最低限の生産活動を機械に任せられる世の中がくるだろうと考えます。
そのとき、人間がするべきことは、人間として生まれてきたことを楽しむ、あるいは愉しむということだと考えます。それらは芸術、哲学、自然科学ということになるのではないでしょうか?そ
ういう活動に対しコンピュータで人間のもつパワーを増加させるそんな仕掛けはないものかと考えています。上であげたThinkingSketchのプロジェクトも私の心の中ではそんな背景を背負っています。
[企業の研究員だったころ]
修士課程を終えた後は、日本IBMにできたジャパンサイエンスインスティチュートという研究所に所属しました。ここでは、いきなり計算機を実用的に使う仕事を始めます。最
初にやった仕事がウィンドウシステムを作る仕事。最初は、XeroxのDolphinとか発売されたばかりのMacintoshを眺めてウィンドウシステムはどうやって作るのだろうなんて考えたり、M
acintoshってなんでこんなに使いやすいのかなんてかんがえてました。最初にもらった端末は3ドライブのフロッピがついた5550というパソコンでした。200万円ぐらいしましたが、1
0メガに満たないハードディスクドライブがついたもので今思うと隔世の感があるというのはあまりに月並みな表現かもしれません。
このウィンドウシステムに関するスタディが一段落したあとは、 MS-DOSベースのPCの上で1セット約7000文字ある漢字をマルチフォントで出すという「夢の実現」に励んでいました。こ
のころはまだ WINDOWSもタイリングでマルチウィンドウを実現するというVERSION 1.0が出たというまことにのどかな時代でした。そんななか、私
は少ないメモリの中でマルチフォントを高速に出力するためフォントバッファの構造をどうしたらよいかといういまからおもえば細かい研究をしてました。また、I
BM5550のディスプレイチップ用のマイクロコードでバイトバウンダリのパターン分けをしてBITBLTルーチンを作りカリフォルニアにあるアルマデンの研究所に持っていったら当時のIBM
PCと歴然とした差があったので驚かれ、いい気分だったのを覚えています。こ
のウィンドウシステムはOS/2のPresentationManagerというウィンドウシステムが出現する前に製品化され市場に出されたので感慨深い仕事です。
その後、自分(たち)の作ったウィンドウシステム上のアプリケーションプログラムであるグラフィックエディタをつくりました。これを遠隔で共有する電子共有黒板などをつくったりして遊んでいました。グ
ラフィックエディタはコマンドでコントロールできるようになっていていろいろ遊ぶことができました。このグラフィックエディタづくりは環境の変化したいまでもライフワーク的に続けています。90年頃、ビ
ジュアル言語というものにも興味をもって、操作する人の意図を酌み取るGUIを作るという野望をいだいたりしたこともあります。エディタ上のオブジェクトを直接ポイントするのではなく、間
接的に選択するとすると操作の再現性がよくなるというアイデアににています。東
大の教育学部の佐伯先生の研究室に遊びに行って状況論とかJ.J.Gobsonのアフォーダンスというものを教えてもらったりしたのもこのころです。状
況的知覚論の流れからブルックスのサブサンプションアーキテクチャやフィル・アグリなどその周りの人々の仕事を知るようになります。
このころはバブルも峠を越えたのが見え隠れし、会社もなんだが焦りを感じ始めたのでしょう。我々の研究所は仕事をしている振りをしていてもあそんでいるのはばれて (?)、お
金儲けも大切だということが唱われ始めました。私はそれには賛成で、企業の研究所というのはそういうお金儲けのことを考えて研究することこそが大切なのだと今でも思っています。(当然か...。)
そのうち私は、研究管理のしごとをすることになりました。当時の所長は鈴木則久さん。そこは所長室みたいなものですが、研究所はこうやって運営するのかということがわかり勉強になりました。会
社のなかでは、研究所は作業環境としては自由なところですがきちんと成果をださないとお取りつぶしです。研究評価をするために米国から偉い人がくるたび大騒ぎしてました。こ
こでの仕事の一つは研究所の成果を公開するオープンハウスというイベントを担当したことです。
研究管理の修行ののち、研究者として復活したときグループウエアを作るという野望を抱きいくらか勉強を始めましたが、ロータスノーツの発散するオーラ(売れてる商品の強さ?)に蹴倒され、I
BMのなかでグループウエアの研究を行うのは密かにあきらめました。
その後しばらくファイルシステムを使ったミドルウエアの研究を1年ぐらいやっていました。既存のファイルシステムのインタフェースの見かけをしながら、
CGIのパラメータの様にファイル名を解釈してオンザフライでファイルの中身を作りデータを見られるようにするという今までとまったく違う仕事で、 OS/2のデバイスドライバを書いたり楽しい仕事でした。そ
のうちに、移動エージェントのプロジェクトに加わらないかとお誘いがかかりました。
これがIBMで最後にやったプロジェクトです。グループウエアをやろうとしたときもエージェントという言葉には親しみがあったのではじめたのですが、結構長い仕事になりました。こ
このプロジェクトでは番頭格でしたが、営業、雑用一般、渉外、プログラミング、テスト、ホームページ管理なんでもやっていました。そのためもあってか、最
初にやったウィンドウシステムの仕事と併せて心に残るプロジェクトではあります。
あとは、暇をみつけて他の人とやった仕事として、デスクトップ上のアイコンをバーコード化してどこでも張り付けられるようにしておき、このバーコードをスキャンすると、もとのアプリや(
データとアプリ)が立ち上がるというような仕事をしていました。今後はこういった仕事の延長として情報デザイン系の仕事をやってみたいなと考えています。
[大学院生のころ]
大学院は1982年に東大の情報科学科というところに進みました。数学科出身ということもあり、ここでは論理学系の勉強をしていました。指導教官は佐藤雅彦先生でした。オ
ブジェクト指向の概念などが一般に紹介され始めたのはちょうどこのころです。ディズニーの映画トロンが公開されたのもこのころですし、駄洒落ではないけど当時助手だった坂村さんもトロン・プ
ロジェクトをはじめたころではなかったかな?坂村さんの電脳建築学(だったかな?)という計算機アーキテクチャのBitの連載はおもしろかった。このころ若かりし松原さんと出会ったりしています。も
ちろん私も若かった。
[大学生のころ]
京都大学の理学部というところに入学しました。入学した頃、将来生物学の数理科学的な解析ができるのではないかという予感のもとに「数理生物学」という言葉にあこがれていました。そ
の当時は京大には生物物理学科(?)というのがあって、そのハジッコに数理生物学といった講座があったような気がします。やっていたことは山口昌哉さんが非線形数学としてボルテラの方程式を紹介したり、寺
本英さんの研究室でオートマトンやL-systemとかの研究をしている人がいる程度で、私
はこういう研究に興味をもちながらもどう発展していくのかが見えないなとおもいながらはっきりした進路が見えない生活をしていました。そういえば、カオスとかそういう話題もすでにそのころ聞いた覚えがあります。で
も、なぜ大事なのかといったことが当時の私にはわからなかったのですよね。
そんな中で私は、岡潔の随筆などを読むにつれ、ついふらふらと高校時代から好きだった数学を勉強するつもりで数学を主として学ぶ履修モデルにのっていました。しかし、純粋数学についていけず、興
味をもてないこともあって、3年生の中頃から計算機科学の勉強を始めました。そのころ、人間の意識みたいなものがどうやってできあがってくるのかが知りたくなり、そ
んな研究に一番近いのが情報科学だと思いこんだということもあります。京大の理学部にはきちんとした計算機教育のコースはなかったのですが、計算機機構論といった授業があったりしました。同
時期に計算機の勉強をしていた仲間たちはみんな多くの部分を独学していました。指導教官は数理解析研究所の中島玲二先生で、プログラムの検証とかそんなテーマで勉強をしていました。D
EC2020が地下にあって2400ボーの端末からみんなでそれを使ってました。スムーズスクロールするDECの端末がとても格好良かったのが当時私がおぼえた印象です。ついでに、大
学時代の後半はもう中身はわすれたけど、やっぱり生物学は趣味として(?)好きで、伊谷純一郎さんの自然人類学を受講したり、日高敏隆さんの生態学だったか(?)を
受講したりとのんびりとした生活を送っていました。
最近の著作
美馬 義亮・木村 健一・柳 英克, 絵画作成ツール: ThinkingSketch, 日本ソフトウェア科学会WISS2001 インタラクティブシステムとソフトウェアIX pp. 51-60
☆★☆ベストペーパー賞受賞
美馬 義亮・木村 健一・柳 英克, リフレクションのための自動デッサンツール - ThinkingSketch -, 第17回NICOGRAPH/MULTIMEDIA 論文コンテスト
Yoshiaki Mima, Kei-ichi Kimura, ThinkingSketch: A reflection tool for drawing pictures on
computer, ADC2001(アジアデザイン会議)





