障害をいかに記述するか:チャンネル理論による概念の「緩さ」の形式化の試み 坂原樹麗(東京大学) 29/Aug/2008 1.目的 概念の「ゆるい」使用法を形式的に表現する枠組みを作る. 2.問題意識 わたしたちは,概念をちゃんととらえようとするとき,多くの場合それを「硬い」ものとして捉えることしかできない.しかし他方で,わたしたちは,日常的には概念を「緩く」使用している.その結果,このような「緩い」概念の使用は,いいいかげんなものとして,思考の対象から排除されてしまう. 意思決定といった,経験的な問題を扱う際には,しかし,概念のこの「緩い」使用法を,厳密に捉えることが必要になる.また,「障害」といった経験的な問題を扱う際にも,それは重要になる.概念の「緩い」使用法を「厳密」に形式化することで,それを思考の対象にしたい. 3.例 開発と障害という問題に関して,障害をもつ人の数を調査したMさんに対してKさんが,以下のような質問をした架空の場面を想起せよ. − Mさん,障害を正確に計測するなんて不可能じゃないですか? − 開発の文脈で問題になる障害を計測するのは可能です.それが分かれば十分なんですよKさん. ここでKさんの頭の中には,「障害を定義する普遍的な条件,「硬い」条件,というものは存在するが,それが観測可能かどうかはわからない.むしろ観測できないんじゃないか?」という思い込みがある. つまり,まず第一に,たとえ「真なる障害の条件」を判断でき,観察できたとしても,その判断・観察自体の妥当性は必ずしも明らかではない.それゆえ,この判断・観察の妥当性に対する判断・観察が必要になる.しかし,これで十分であるとは到底言えない.なぜなら,この2番目の判断・観察の妥当性が次に問題になるからだ.それゆえ,この2番目の判断・観察の妥当性に対する更なる判断・観察,第3番目の判断・観察が必要になる.しかし,これで十分であるとは到底言えない.なぜなら,いくら個別の判断・観察を積み重ねたところで,個々の判断・観察そのものに対する懐疑は決して払拭することができないからである.このようにして,ある経験が「真なる障害の条件」を満たすということを保証するための確認作業は,無限後退せざるをえないという原理的な問題を抱えてしまう.そしてわたしたちは,決して「真なる障害の条件」にたどり着くことはできない.これが,Kさんをして「障害を正確に計測するなんて不可能じゃないですか?」と発言せしめる1つの根拠になっていると考えることができる. これは,「障害」という概念を「硬い」概念として捉えようとすることでもたらされる典型的な困難であると見なすことができる. しかし,このような無限後退という問題は,わたしたちの日常的な判断の場面において,多くの場合問題にはならない.それが「真」であるかどうかとは無縁に,わたしたちはある経験を「障害」とみなすだろうし,そうすることである人の抱える「障害」の経験に気付くといった経験をしているはずである.そこで行われていることは,「真」であるかの確認作業ではなく,わたしたち自身の知識に照らしてその「障害」を想像し,理解することができるかどうか確認するという,個別的な思考であろう. 「障害」という「緩さ」を含んだ概念は,それゆえ「真」なる概念の不完全なものとして捉えられるべきではなく,わたしたちの思考と人々との関わりにのみその成立根拠をもち,その生活世界のなかで経験される特定の概念の使用から形成される,不定性を含んだ動的な秩序として捉えられるべきであろう. このとき,「真なる障害の条件」といった問題は,多くの場合問題にならなくなる(もちろん,問題にすることも常に可能である).実際,MさんのKさんに対する答えも,「障害」から,ある特定の使用法を導き出せることこそが重要なのだ,という考え方として解釈することができる.そして,Mさんが関心を持つのも,特定の文脈における「障害」の概念の使用法によって浮かび上がる特定の経験(貧困の経験)であり,それが「真なる障害」であるかどうかはそもそも問題にされていない. 「緩い」概念の指示する対象を「正確」に捉えようとすると,それは,たとえば「障害とは障害とよばれる対象の全体である」といった,循環を含む命題としてしか定義できないだろう.このとき概念は,対象を有意義に切り出す概念固有の力を失ってしまう.「緩い」概念とはむしろ,それぞれの文脈に応じて必要とされる特殊な使用法を取り出すことを可能にし,更にその構造が動的に変化しうるような形式を与えられることで,むしろその本来の有効性を発揮すると考えることができるだろう.本論では,このように,多様に切り出すことができ,動的な変化を許す概念のあり方を形式化する1つの方法を提示する. 4.道具 ここでわれわれが依拠する枠組みは, 数学的には同値の構造をもつ以下の3つの枠組みである. ・チャンネル理論 ・形式概念分析(Formal Concept Analysis) http://www.upriss.org.uk/fca/fca.html ・Chu空間 http://chu.stanford.edu/ (それぞれの文脈の定義の間の関係は別紙1を参照せよ) これらのうち,固定された文脈における概念間の関係を捉えるにはFCAが有効である. しかし,FCAは,異なる文脈の間の整合性を捉える構造を持たない. これに対し,複数の文脈の間の同一性や差異を捉えるには,チャンネル理論とChu空間が有効である. しかし,これらはそもそも概念という構造を持たない. ここでは,FCAから概念の記述法を, チャンネル理論とChu空間から文脈の同一性や差異の記述法を, それぞれ導入することで,「緩さ」を含んだ概念の記述法を提示する. 以下,具体例に沿って,ここで用いる基本的な概念である 「分類」「情報射」「表象システム」「分類の直和」そして「形式概念」を それぞれ順を追って導入してゆく. 5.会話(1) 視覚に障害をもつAさんが,足に障害をもつBさんと, 2つの建物x, yによって経験させられる障害について話している場面を想起せよ. ー あの建物,ほんと使いづらですよね,xビル.Aさん,どう思います? ー え? むしろyビルの方が使いづらくないですか? ここでAさんは, 建物やその周辺に点字ブロックがないため, nビルの方をより使いづらい建物と思っているとしよう. このAさんのそれぞれの建物に対する観察・認識を, ここでは分類を用いて表現する. 6.分類(文脈・Chu2空間) A=〈tok(A),typ(A),|=_A〉 tok(A):トークン(対象)の集合 typ(A):タイプ(属性)の集合 |=_A:トークンとタイプの間の二項関係 (|=_A ⊆ tok(A)×typ(A)) この分類を用いて,Aさんの観察は以下の分類で表現することができる. 例1:ある観察A x|=_A 点字ブロック y|=_A 不便 この分類は,以下の分類表によって表現することもできる. 観察Aの分類表 |=_A 点字ブロック 不便 x    1     0 y    0     1 つまり,二項関係|=_Aが成立するトークンとタイプのセルに1を, 成立しないセルに0を記入した表を,Aの分類表とよぶ. 同様にして,先に交わされた会話で思い浮かべる限りでの Bさんの建物に対する観察は以下の分類B0および分類表で表現することができる. 例2:Bさんの観察B0 x|=_B0 不便 観察B0の分類表 |=_B0 不便 x    1 y    0 ところで,この2つの分類A,およびB0は, ある重要な点において異なっていると考えることができる. つまり,「不便」という言葉の用い方に,ズレが存在するのである. ここで「不便」という言葉の用い方にズレが存在することは, 直感的に明らかであるように見える. しかし,「ズレがある」,あるいは「ズレがない」ということを, 形式的にどのように表現すればよいか,という点は,必ずしも明らかではない. これをどのような基準に基づいて表現するか,という点についても明示する必要がある. この違いを形式的に捉えるため,ここでは次に「情報射」を導入する. 7.情報射(Chu transform) 分類Aと分類Bの間に,以下の随伴性条件を満たす関数の対 f=が存在するとき, fをAからBへの情報射といい,Aはfの意味においてBと同じである,とよぶ. ∀α∈typ(A),∀b∈tok(A) fv(b) |=_A α iff b |=_B f^(α) 情報射には方向性がある点に注意せよ. つまり,AからBへの情報射fが存在しても BからAへの情報射が存在するとは必ずしも限らない. 例3:情報射の存在と理解のズレ 情報射を用いて,AとB0の理解のズレを確認してみよう. まず,「不便」という言葉の意味を同一視し, 「x」と「y」によって指し示された建物を同一視する限り Aさんの建物に対する評価とBさんの建物に対する評価の間に 同一性が存在しないことは,以下のようにして確認することができる. つまり, B0の「不便」とAの不便を同一視し それぞれの建物を同じものとみなしている, という条件を満たす関数の対 f = として以下を考える. f^(不便_B0) = 不便_A fv(x) = x fv(y) = y この f = は,B0からAへの情報射を形成しない. (随伴性条件をみたさない) ここから,Aは,Bが「不便」という言葉を 自分とは異なった意味で用いているであろうことに気付かされると言える. ただし,Aは,B0が建物を勘違いしているだけなんじゃないか? と疑うことで,「不便」の用い方を同じものとして解釈することも可能である. これは,以下のような情報射を考えることで,表現することができる. g^(不便_B0) = 不便_A gv(x) = y gv(y) = x 実際このgは,随伴性条件をみたし,情報射を形成する. そして,この解釈を採用する限り, Aは,Bの経験する「不便」を,誤って 自分に都合良く解釈してしまっていると考えることができる. しかしAは,Bの話しによく耳を傾けることで, この間違いに気付くこともできる. 「不便」という言葉が,自分にも納得いく形で使用されていることに気付くことを, ここでは,次に「表象システム」を導入することで表現する. このような状況を考えるため,新たな会話の状況を導入しておこう. 8.会話(2) Aが,Bから更に,以下のようなヒントを得た場合を想起せよ. ー Bさん,xビルのどこが使いづらいんですか? ー だってあそこ,段差が多いじゃないですか. ここでまた,Aさんは,以下のことを知っているものとする. ・Bさんは車椅子を利用している. ・段差がある建物は,車椅子で移動するには不便である. このとき,Aが,会話から直接得た情報を反映した分類を 以下のB1によって表現することができる. |=_B1 段差が多い x     1 y     0 9.表象システム 知識を媒介することで, ある分類と別の分類のトークンの間に関係を形成するシステム. たとえばB0とB1の間に表象システムをたちあげることで Aは,自分の「不便」でも理解できるものとして解釈された 以下の分類B2を形成することができる. |=_B2 段差が多い 不便 x     1    1 y     0    0 つまり,Aは,「段差が多い」というタイプを新たに意識させられることで 「段差が多いなら,車椅子での移動には不便である.」 「Aさんは車椅子で移動する.」 「Aさんにとって,xビルは不便である」 と推論することが可能になる. ここから,Aは,Bが自分とは異なった意味で「不便」を用いており, それが自分にとっても理解可能であることが分かる. これが,上記の分類表B2によって表現されている. 表象システムの正確な定義は, Sakahara,K., and T. Sato (2008): "Construction of Preference and Information Flow: I. General Theory," COE Discussion Paper, COE-DP F-215. を参照せよ. 次に,それぞれの分類によって表現される概念の違いを確認するため, 「形式概念」の概念を導入する. 10.形式概念(ガロア接続) (X', Y') ただし X⊆typ(A), Y⊆tok(A)とし, X'={a∈tok(A) : a|=_A x for all x∈X} Y'={α∈typ(A) : y|=_A α for all y∈Y} および X'=Y, Y'=X をみたすものとする. (X'⊆tok(A)かつY'⊆typ(A)である点に注意せよ) また α∈Y' where a |≠_A α for all a∈tok(A)\setminus X' なるαを 形式概念(X',Y')の名前とよぶ また,個々の概念の間に以下の順序関係を導入することで, 概念の集合は束を形成することが知られている.(形式概念の基本的な性質) これをAの形式概念束とよぶ. (X,Y) ≦ (S,T) iff X⊆S X⊆S が成立するときには常に T⊆Yも成立する点に注意せよ. 例1:Aの形式概念 (tok(A), 0), ({y}, {不便}), ({x}, {点字ブロック}), (0, typ(A)) この形式概念束は,別紙2の図1左のハッセ図で表現できる. 例2:B2の形式概念 (tok(B2), 0), ({x}, {段差が多い, 不便}), (0, typ(B2)) この形式概念束は,別紙2の図1右のハッセ図で表現できる. ここで,Aの「不便」が「点字ブロックがないこと」によって特徴づけられているのに対し, B2の「不便」は「段差が多い」ことによって特徴づけられている点に注意せよ. また,この違いにより,それぞれの文脈における概念の外延も異なっている点に注意せよ. 11.分類の直和 以上,個々の文脈における分類の表現の仕方と, その文脈における形式概念の定義を確認してきた. しかしわたしたちは,異なった文脈における概念の使用を, 1つの統一した分類および概念によって捉えるといったことをしているだろう. このような認識作用をここでは,分類の直和と,直和における形式概念によって捉える 分類AとBの直和: A+B = 〈tok(A+B), typ(A+B), |=_A+B〉 ただし tok(A+B) = tok(A)×tok(B) typ(A+B): disjoint union of typ(A) and typ(B) |=_A+B α_A iff a |=_A α |=_A+B α_B iff b |=_B α 例3:観察AとB2の直和A+B2 |=A+B2 点字ブロック 不便_A 段差が多い 不便_B2     1     0    1    1     1     0    0    0     0     1    1    1     0     1    0    0 この分類A+B2の概念は,以下で与えられる. (tok(A+B2), 0), ({, }, {段差が多い, 不便_B2}), ({, }, {不便_A}), ({, }, {点字ブロック}), ({}, {点字ブロック, 段差が多い, 不便_B2}), ({}, {不便_A, 段差が多い, 不便B_2}), (0, typ(A+B2)) 分類A+B2の形式概念束は,別紙2の図2のハッセ図で表現できる. ただし,この図では,たとえばトークンをxyによって,をnnによって それぞれ略記している点に注意せよ. このとき,A+B2の概念には, B2の不便を表す概念 ({, }, {段差多い, 不便_B2}) および Aの不便を表す概念 ({, }, {不便_A}) が,それぞれ含まれている. A+B2の概念の,Aの概念に対する対応関係は,別紙3の図4を, B2の概念に対する対応関係は,別紙3の図5を, それぞれ参照せよ. ここで更に 以下のタイプを増やしてやることを考える つまり「ある文脈で不便といわれる経験」というタイプ 「不便」(=「不便_A∨不便_B2」)である. この分類を便宜的にVで表すと,以下の分類表をえる. |=_V 点字ブロック 不便_A 段差が多い 不便_B2 不便    1     0    1    1   1    1     0    0    0   0    0     1    1    1   1    0     1    0    0   1 この分類Vの概念は,以下で与えられる. (tok(V), 0), ({, , }, {不便}), ({, }, {段差多い, 不便_B2, 不便}), ({, }, {不便_A, 不便}), ({, }, {点字ブロック}), ({}, {点字ブロック, 段差多い, 不便_B2, 不便}), ({}, {不便_A, 段差が多い, 不便B_2, 不便}), (0, typ(V)) 分類Vの形式概念束は,別紙2の図3のハッセ図で表現できる. ここでは,まず,A+B2には含まれていなかった新たな概念 ({, , }, {不便}) が含まれている点に注意せよ. この概念は,Aの文脈に注目することでAの不便を, B2の文脈に注目することでBの不便を, それぞれ含んでいるという意味において, 一般的な「障害」の経験を指し示す概念であると考えることができる. しかし他方で,B2の「障害」に対応する概念 ({, }, {段差多い, 不便_B2, 不便}) が,「段差が多い」というタイプを観察することによって判別できる具体性を持っているのに対し, この一般的な「障害」の概念は,それを直接観察することができない. というのもそれが誰かの感じる「不便」という概念に依存して定義されているからである. またこの概念を,AやB2の概念に置き換えると, それは(tok(A),0)や(tok(B2),0)といった, いわば「なんでもあり」の概念に対応してしまう. 一般的な「障害」の概念は,このように, Vの分類の内部においてAとB2の経験を,それぞれ適切に表現することを可能にしてはいるが, 他方で,その具体性を捨象してしまっているという欠陥をもつ. それゆえ,個別の「障害」の概念に比べ, 分かったような分からないような曖昧さを常に含んでしまう. つまり,新たな文脈において使用する際, これが「障害である」,と具体的に指示することが多くの場合できない. しかし他方で,一般的な「障害」の概念は,対象が曖昧であるがゆえに, この経験は「障害」ではなかろうか? といった反省を促す側面をもつ. このような不定性が, 新たな経験をこの概念によって説明しうる創造性につながっていると考えることができるだろう. 12.まとめ 概念を「緩い」ものとして捉えることによって,概念の問題は,「真偽」の問題から,目の前の他者との関係をいかに捉えることができるか,という「関係性」の問題へと重点を移す. 概念を「硬く」用いようとする限り,たとえば「障害」を問題にすることはそもそもできない.それは既に,Kの懐疑を通じて確認した通りである. しかし,概念を「緩く」捉えるとき,問題は異なって見えてくる.目の前の他者の特定の困難をわたしたちは,「障害」という概念を使用することで想像し,理解することができるからである.もちろん想像できないこともあるだろうし,誤解していたことが後になって明らかになることもあるだろう.まさに概念が「緩い」がゆえに.しかしそれは,理解できるという経験をわたしたちが知っているからこそはじめて意識できる経験であると言うことができるだろう.理解できないなら,そもそも誤解していることに気付くことなどできはしないし,想像できないということ自体を意識できないはずだからだ. 他者の経験を理解できているという感覚,わたしたちの多くはこれをそう簡単に否定することはできないだろう.たとえそれが,常に誤解を含みうるものだと分かっていたとしても.そして,それは恐らく,世界に対するわたしたち自身の認識の根源的な基盤を形成しているとすら言うことができるだろう.実際わたしたちは,他者の経験を理解できると感じている限り,次の命題を疑わずに(あるいは,そもそも意識すらせずに)済ますことができる.わたしのこの経験を理解する誰かが必ず存在する,という命題である. この命題の妥当性は,客観的な根拠によって保証されるものではない.それは常に疑うことが可能であるからだ.この確信はむしろ,わたしたち自身が「他者の経験を理解すること」を通じて,結果的に形成されてしまうものであると考えるべきだろう.他者の発する言葉に耳を傾け,その経験を想像し,理解しようとつとめること.このような思考を積み重ねることを通じてしか,わたしたちの世界に対する認識の基盤は形成されないからである. そしてわたしたちは,このとき,観察の確実さを積み重ねることでは決して到達することのできない「客観性」の概念,つまり,目の前の他者と共有する世界を,はじめて手にすることが可能になるのである.