「大きな少しのわがまま」

 

 

ある日のある人

 

友人宅でホットプレートを囲み、関西風のお好み焼きをジュージュー、カチカチ。昼食抜きの彼らは、間違いなく誰もが満腹の空腹感、まず、食わねばならない完成までの時間に胸焼けさえしていた。

もちろん彼もその一人で、鰹節がゆらゆらと揺れているだろうその方に耳を傾け、人数分に切り分けられる音と、芳ばしい香りに、この後おとずれる、快楽の世界を仲間の分まで想像していた。

 

信じられない音が、あっさりと彼をそちらからこちらの現実に引き戻した。

そばをすする音だ。それも、目の前でだった。

お好み焼きにまったく遠慮もない豪快な快音。カップなのか、生めんなのか、いやそれにしてもいつのまに作ったんだ。快楽への案内人であるお好み焼きさんに悪いではないか。

 

彼:「何食ってんのよ」

何を食べているのかを知りたかったわけではない、口から出たのは、ナゼ食べているのかを問たことが誰もが分かるような、怒りも含んだ言葉だった。

 

ソバの人は、あっさり答えてしまった。彼の勘違いをすぐに気付いてしまったようだ。

 

ソバの人:「鼻かんでんのさ」

 

彼の理解力も捨てたものではなかったようだ。すぐに状況をのみこんだが、ただ、今回はあまりにも音が似過ぎていた。

完敗だった、心地よい敗北感。

 

厳選された魚介との契約で最高峰の美味を獲得してしまった炭水化物って奴は、自らを口にした全てのものをいとも簡単に糖源郷へと連れ去ってしまうというのだ。

ソバの人、いいえ、正確にいうと、そう思われてしまっただけのお好み焼きの人は、立派にそれを信じ続け、私が想像していた快楽の世界が、貧困に思えるほどに、鮮やかな世界を、描いていたのかもしれない。

 

 

またある人のある日

 

道を行く人が慌しいな。スーパーの特売日かなんかかなぁ。ガサガサという音がいたる所でして。

その人、今日は、やけに袋をさげたおばちゃんが歩いて来るなぁって思ったんです。それもまたすっげぇースピードで、すれ違ったようで。

おいおいおばちゃん達、道路の真ん中で井戸端会議、交通ルール上等ですか。

何をそんなにいいものを買ったのさ。

なんだ、なんだ?

重たい、杖が動かんぞ。何か先っぽにからまってる。なんだ、濡れた落ち葉が杖にからまったのか。

はい、そうです。気付いちゃいました。ある人は誰ともすれ違っていなかったし、もちろん、道路の真ん中で理不尽な会議は行われてはいなかったんです。

乾ききった落ち葉が、風でアスファルトを転がる音が、とってもとっても、手に提げて揺れる買い物袋のそれに似てたんですね。

ソバの話を聞いてある人がこういった。音だけの世界にいる人は、そういう感じなら、周りの空気はよめないでしょうね、と。つまり、目の見えない人は、周りの雰囲気を『みる』ことが出来ないといっているようだ。

落ち葉の転がる音と買い物袋の音を間違えた話を聞いて、また違うある人はこういった。

見えない人が歩くのは、本当に危ない、歩かない方がいいのにね、と。つまりこういうことなのかな?目で確認出来なければ、危険なコトを『みる』ことが出来ないと。

 

しかし、見えない人が周りの空気をよめない、という台詞が周りの空気を凍らせてしまったことに気付いていないひと。

秋になれば色んな感じの落ち葉が道路を転がっていることにほとんど気付いたことがなくて、周りなんてそんなに気にせずいつも歩いている人。

どちらの人も、少し意味は違えど、本人が思っているほど、周りを『みる』ということが出来ているのでしょうか。

何かを考え、何かをする時、自分にペースがあるということは、見えない人だけに限ったことではないでしょう?

もちろん、目の見えない人も、そちらさんのペースがあって、そちら風のやり方があるのだということを、少しだけでも理解し、みなさんの頭のどこかにしまっていてほしいのです。

 

この大きな少しのわがまま、みなさんに届くといいのに…

みなさんの親切な気持ち、上手にうけたいから