インタラクション2011会議報告
〜東日本大地震による避難体験を中心に〜

角 康之(インタラクション2011大会委員長/公立はこだて未来大学)

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 インタラクション2011は2011年3月10日から12日の予定で日本科学未来館で開催中、3月11日14時46分過ぎに起きた東日本大地震のために会期半ばで中断しました。地震後の避難の様子を含めて会議報告を、というお話を早くから頂いていたのですが、地震から1ヶ月経った4月11日現在でも大きな余震や原発の不安は続き、震災は収束の方向すら見えていません。そういった中でなかなか会議報告を書く気にはなれなかったのですが、記憶の薄れないうちに速報をと言うことで筆を執らせていただきました。

インタラクション2011について

 シンポジウム「インタラクション」は、ヒューマンインタフェースや協調活動支援の話題を中心とした学術会議として1997年に始まり、今年で15回目を迎えました(http://www.interaction-ipsj.org/)。毎回、査読によって厳選されたシングルセッションの講演発表と、数多くの魅力的なインタラクティブ発表(デモ発表)が集まり、この数年間は600人を超える参加者を集めています。そしてインタラクション2011では新たな飛躍のために、 という目標を掲げ、それらを具現化すべく、 といったことに1年間をかけて取り組んできました。  その結果、20件の一般講演発表、210件のインタラクティブ発表を集めることができ、インタラクティブ発表は初めての4セッション構成とすることとなりました。参加登録者は762名に達し、それに加え、未来館来館者にもインタラクティブセッションを開放しました。知的書評合戦ビブリオバトルを開催することで、カジュアルな対話の場の演出も試みました。企業展示には5つの企業にご協力いただきました。また、3日目には2件のサテライトワークショップ、これまでの15年間を振り返る招待デモ、子どもが参加する体験ワークショップ、関連国際会議を紹介する招待講演会など、新しい試みが多く控えていました。

地震と避難

 地震が起きた3月11日14時46分過ぎは、2日目の午後のインタラクティブセッションがそろそろ終わる頃でした。多くの参加者は未来館の7階と3階に分散したセッション会場で発表見学をしており、何人かの参加者は口頭発表会場に戻り始めている頃でした。私自身は7階のイノベーションホールの奥で展示を見学しながら議論をしていました。ゆるやかな横揺れが始まったときからすぐに地震だとは気づいたのですが、やがて大きな揺れに変わったときには、落ち着いて立っておられず壁にもたれかかっているのがやっとでした。また、高い天井から多くの照明器具がぶら下がっており、それらがブランコのように大きく揺れていたため、身の危険を感じました。多くの人は近くの机の下に潜り込んでいたのですが、私自身は天井から目を離すことができず、また、なかなか手近な机が見つからなかったため、すぐには机の下に隠れることもままなりませんでした。3階ではこの最初の揺れの時点で天井の一部が崩落していたようです。


地震発生時。みんな、壁によって天井を気にしている。
※ここに掲載する写真は、筆者が首にかけていたSenseCamと呼ばれるカメラによって、約10秒ごとに自動撮影された写真である。つまり、筆者の一人称視点の体験記録である。


 2分程度も揺れていたでしょうか。いったん揺れがおさまったときには、すぐにシンポジウムを中断するという考えには至っていなかったのですが、すぐに未来館のスタッフが動きだし、すべての人に非常階段から館外へ脱出誘導を始めました。その時点では東北を震源とした大地震であるという認識はなかったため、皆は比較的落ち着いており、カメラを構えながら階段を下りる人も多く見られました。


館外脱出後、これからについて協議中。未来館の向こう側で煙が上がっている。

 すべての人が外に出て、実行委員や未来館スタッフが集まり、参加者グループごとにメンバーの安否確認をしていた頃でしょうか、最初の大きな余震があり、建物が大きくぐにゃぐにゃと揺れていることが外からもよくわかりました。その揺れで、館の正面玄関周辺の天井の一部やつり下げ構造物が大きな音を立てて崩落しました。結果的には間一髪で大惨事にならずに済んだことになります。その頃からtwitterやワンセグにより大地震の全体像に関する情報も入り始め、とてもシンポジウムが継続できる状況ではないことがわかってきました。そして、16時10分頃にインタラクション2011を中断することを宣言しました。
 しかし、津波の心配があり、着の身着のままで飛び出してきた人が大部分だったこともあり、その場で解散することはできず、500人前後のシンポジウム参加者が集団で行動することになりました。また、寒さや小雨が降り始めたことから、いつまでも屋外にいるわけにもいきませんでした。地震から2時間近く経った頃、未来館の隣にある国際交流館のホールを避難所として使えるように未来館が手配してくださり、ほとんどのシンポジウム参加者と一般来館者は交流館に移動しました。交流館は、明かりと暖房があり、また、未来館スタッフが非常時用の水と乾パンを配ってくださり、多くの人がそこで一夜を過ごしました。お台場は東京の中心から離れていたため、かえって交通の混乱にも巻き込まれず、安心して一夜を過ごすことができたのは不幸中の幸いだったと思います。


国際交流館での避難の様子

 19時過ぎには、津波の心配はなさそうなことが確認され、帰ることを希望する人は帰ってもらっても良いこと、そして、交流館で一夜を過ごしたい人はそれが可能であることをアナウンスしました。その時点では100人程度が帰宅もしくはホテルまで帰ったかと思います。ただしその際、帰った人の把握のためにネームタグを置いていってもらうこと、そして、それぞれの安否状況や交通状況をtwitterで共有することをお願いしました。その結果、りんかい線が間引き運転を開始したこと、バスやタクシーは利用困難なこと、レインボーブリッジは徒歩で渡れることなどを居ながらにして知ることができました。
 一夜明けた3月12日の朝、徐々に交通状況が復旧しつつあること、天気が良いことなどを確認し、7時前に避難所の中で閉会を宣言しました。そして、10時過ぎにすべての参加者とスタッフが交流館を出て、インタラクション2011は閉会しました。

震災と情報処理

 情報処理学会誌での報告なので、今回の震災時の情報処理について少し触れておきたいと思います。多くの人が既に指摘しているように、携帯電話は使えませんでしたが、twitterは身近な仲間の安否確認から日本全体の状況把握まで大変役に立ちました。多くのtweetの洪水から関係するものだけに絞り込むには、単純ですがハッシュタグが有効でした。また、現場での情報共有目的という意味では、ほとんどすべてのユーザが一次情報の発信者であったため、retweetの割合はあまり高くなかったのが特徴かと思います。大勢の人間センサがそれぞれの五感センサで得たデータを即座にWeb化したため、極めて上質な集合知とアウェアネス共有が可能になった、というと言い過ぎでしょうか。そのセンサ群の中に、地震や津波に関する観測データや、交通網の状況データが自然に融合されることが、これから直近の課題になるかと思います。
 ライフログという観点から言うと、インタラクション2011参加者は特殊な人種であり、多くの人が地震直後から写真やビデオ撮影を行っていました。多くのデータやtweetへのリンクは、福地健太郎氏による震災情報Wiki(http://fukuchilab.org/i2011quake/)からたどることができますので、ご覧ください。かく言う私も、SenseCamというマイクロソフトが試作したカメラをたまたま首からぶら下げており、地震前の発表見学中から次の日まで連続して、10秒ごとの写真を自動記録していました。これらの写真、ビデオ、ブログ、tweetを見ていて思うのですが、映像はやはり迫力があります。しかし、当然ですが、決定的なシーンや何気ないシーンが録られてているとは限りません。その一方、自動撮影カメラはサムネイルの集合としてみたときにはマクロ的な流れが把握できて面白いのですが、一枚一枚の写真はもの足りません。現場の雰囲気を伝えるのに重要なのは音かと思います。また、カメラは一人称記録という意味では良いのですが、現場を立体的に捉えるのは困難です。複数人の記録を融合させて、二人称、三人称の記録からシーンを立体的に捉えるメディア技術を発展させていきたいと思います。


10秒ごとに自動的に撮影された写真のサムネイル。地震発生時から10分強くらいの間。

 今回の集団行動を考えると、マルチエージェント研究へのヒントも多かったように思います。今回は、現場を熟知した未来館スタッフ、判断をして全体にアナウンスする10名前後の実行委員という「エージェント」の仕事分けや、3〜10人くらいの密に行動を共にするクラスタが観察され、それらが緊急時の状況判断、情報伝達、行動の単位となっていました。また、情報蓄積のためのホワイトボード(黒板システム)の活用、出入り管理のためのネームタグの収集なども観察されました。今回は結果的に何事もなく終わりましたが、すべての判断が正しかったかどうかはわかりません。災害時の情報伝達や行動判断について、マルチエージェントシミュレーションの恰好の題材になるのではないでしょうか。
 また、あのような状況を乗り越えるにはエンタテインメントも重要な役割を担っていると思います。事実、前向きに残りの発表セッションを続けられないか検討しているグループや、災害時のICTについての議論をしているグループが散見されました。また、twitter上で前向きなtweetでつながり感を共有していることは、多くの参加者の心の支えになったと思います。

 突然の地震のため、シンポジウムは会期半分近くを残し中断を余儀なくされ、多くの新しい企画は日の目を見ることができませんでした。予定通り3日間実施されれば、歴史に残る素晴らしいシンポジウムになったのではないかと思っていたのですが、まったく違う意味で記憶に残るシンポジウムとなってしまいました。
 しかし、あれだけの大惨事にもかかわらず、結果的には怪我人も出ず、大きな交通の混乱にも巻き込まれずに一夜を過ごすことができたのは、大変素晴らしい経験になったと思います。そのことはひとえに、落ち着いて行動してくださった参加者の皆様、迅速かつ適切な誘導と避難所の支援をしてくださった日本科学未来館スタッフの皆様および実行委員とボランティアの皆様のお陰です。また、シンポジウム終了後も多くの実行委員および未来館スタッフが、会場に残された機材の回収と搬出などの難しい作業に献身的に取り組んでくださいました。ここに深く感謝すると共に、このような素晴らしいコミュニティの中で一緒に活動していけることを誇りに思っています。
 シンポジウムが中断したことによって実施できなかった企画は、必ず、別の機会に実現したいと思っています。皆様の変わらぬご支援を賜りたいと思います。よろしくお願いいたします。最後になりましたが、震災のために被害を受けた方々にお見舞いを申し上げ、一日も早く日常に戻られることを祈念しております。

情報処理学会誌, Vol.52, No.6, pp.614-617, 2011年5月15日発行