「子供たちがくれた林檎飴」の謎

令和7年4月4日更新

本ページの目的

●「子供たちがくれた林檎飴」の謎について
・リベラルアーツの教科書として使用している「子供たちがくれた林檎飴」には楽しい謎がたくさん詰まっています.本ページにその謎をまとめました.是非,謎解きに挑戦してください.
・「子供たちがくれた林檎飴」だけでなく,世の中の出来事を深く理解し,楽しむための一助になると幸いです.

●楽しみ方
・解答例は掲載していません.「真実は著者のみぞ知る」のでしょうし,必ずしも正解があるとは限りません.
・謎に気付き,謎解きを楽しむこと,考えることが大切です.

●ページ行数表記例
p.3:3ページ
pp.3-:3ページから
pp.4-5:4ページから5ページ
p.3,line3:3ページの3行目
p.6,line-2:6ページの後ろから2行目
p.8,lines5-:8ページの5行目から
p.9,lines-3-:9ページの後ろから3行目から

●謎解きのヒント
・参考文献がヒントになると思われます.

1章:草餅の彼女(pp.5-30)

●論理・数学基礎・言葉遊び

○p.5,line-1: 「たとえ講義要項に書かれていたとしても横暴です」は,教員には耳が痛い発言です.

○p.6,line12:「手品のような言い方」とは?手品ならば,手品の内容とそのタネがあるはず.

○p.11,line9:神様が「首を刎ねよ」と言ったのはなぜでしょうか?神様らしくないですね.

○p.12,line8:「ご神饌をいただけないと首を刎ねられるんですか?」という「僕」の問に対して,巫女さんは「試してみれば」と言っている.一体何を試すのか?まさか,「首を刎ねられるかどうか試してみれば」と言っているとも思えないのだが…….

○p.18,line1: 「輪郭線を含む円と輪郭線を含まない円の違い」とは?数学(集合論)の基礎です. 詳細は本書参考文献を参照してください.

○p.18,lines2-: 偶数の数と整数の数の違いも数学(集合論)の基礎です.詳細は本書参考文献を参照してください.

○p.18,lines7-: 「先生は教壇の椅子に座り教科書を手に何やら話していた。─中略─録音した音声を再生する装置が先生ならばどこにいても受講できると思った」という記述は,は教育に対する皮肉や批判と思われます.しかし「親の心子知らず」とも言います.難しいですね.

○p.22,line-2:「僕」は「究極の美女のニュートンが木から林檎が落ちるのをつまらなそうに眺めている」夢を見た.夢を見るにはそれなりの理由があることが多い.「僕」はどうしてそういう夢をみたのでしょうか?

○p.34,lines6-; 彼女は「まず相手にできるだけいろいろなことを話してもらうの。─中略─。そこから先は自分で辿っていけるみたい」と簡単そうに言っていますが実際には難しそうですね.本書には他にも同様な記述があると思います.筆者の意図が隠されているのかもしれません.

○p.35,lines6-13: 「相手の話を聞くのは私じゃないの。─中略─本物の巫女さんの隣で聞くのよ」は筆者の意図を比喩的に表しているように思えます.実際にできたらいいのですが,難しそうですね.

●予測と確率の神様

○p.15,line-4, p.17,line1, p.20,lines3-4, p.24,line3, p.27,line9, p.30,line8:「ご神饌が下げられる時刻(ご神託が降りる時刻)が予想できない」ための条件は,教授や担当院生の話から確率論の問題であることは明らかです.多くの理系の大学で(嫌でも(笑))学ぶ機会があります.

○p.15,line-4, p.17,line1, p.20,lines3-4, p.24,line3, p.27,line9, p.30,line8:「ご神饌が下げられる時刻(ご神託が降りる時刻)が予想できない」ようにするために,時刻を決める方法も確率論の問題ですね.

○p.15,line-4, p.17,line1, p.20,lines3-4, p.24,line3, p.27,line9, p.30,line8:「ご神饌が下げられる時刻(ご神託が降りる時刻)が予想できない」ことが,あたかも価値があるように述べられています.それは何を意味するのでしょうか?

○p.16,lines4-5: 「ご神饌が下げられた直後だろうと二時間半後だろうと、参拝した時刻にかかわらずご神饌が下げられるまでの平均待ち時間は大体同じになります」という記述は,p.27,line-8:「この町の神様は確率の神様だからです」という「僕」の発言や,本書におけるご神饌や神様の存在に関係していると思われます.使われている用語(平均待ち時間)から,確率論(待ち行列理論)が関係していることが分かります.

○p.16:lines6,11,16:以下の三つの記述も確率論の問題でしょう.
「神様は過去にこだわらない」
「神様のやることは揺らがない」
「神様は安売りをしない」

○p.27,line11;「確率の神様」とは?

○p.27,line-6: 教授が「お社に行って自分で確かめてきなさい」と言った理由は,p.80,line4:「君が会ったのは本当に確率の神様なの?」と関連しているようです.

○p.29:塀の上に球を乗せられるか?その行為は何を意味するのでしょうか?

○p.29,lines4-:究極に精密に量れる秤を使った場合でも,p.30,line10:卵がどちら側に落ちるのか予想できないのだろうか?一体教授は何を聞きたいのでしょうか?

○p.30,line11;「僕」は何を思って確率の神様に「会えました」と答えたのでしょうか?

○サイコロが神様として扱われる文化があるようです.p.30,line4:「確率の神様に会えた?」や,p.30,line-7:「神様の意思って何?」という教授の質問は,その理由を示唆しているように思えるのだが…….

2章:漬物とヒドラ(pp.31-72)

●言葉が持つ複数の意味

○p.34,line-3:一つの言葉が複数の意味を持っていることを考えれば,「根気よく聞いていくと、一つ一つの断片の繋がりが少しずつ見えてくる」という記述を(完全にとは言いませんが)数学的に書き下せるでしょう.また,我々の日常生活にも応用できると思われます.例えば…….

○p.39,line-5:「女の子と海辺で遊んでいる間に別の女の子と山に登るよりも難しい状況に追い込まれた」は,「僕」が「女の子と海辺で遊んでいる間に別の女の子と山に登る」ことはそれほど難しくないと考えているようにも解釈できます.一つの言葉が複数の意味を持っていると思えば,簡単に実現できますね

●意思と最適化

○参考文献より,p.62,lines9-10:「みんなで同じ目的に向かって真摯に努力しても必ずしも報われるとは限らないし、仮に目的を達成したとしても必ずしも幸せになれるとは限らない」は合成の誤謬を表していると思われます.pp.61-62にはその具体例が示されていますね(他のページにもあります).我々の身近にもいろいろとありそうです.

○p.64,line-2:「自分の本当の姿を見る」ことは困難ですが,もし本当に見られたのならば,そのとき人は何を感じるのか…….見たい?それとも見たくない?

○p.68:言葉の持つ不確定性を利用して教授が「僕」に言葉遊びを仕掛けています.三人の発言──p.68,line5:「意思ですか?」(「僕」の発言),p.68,line9:「君が言い出したこと」(教授の発言),p.68,line-5:「僕」もそれでいいと思います」(担当院生の発言)──の解釈が,「僕」と「教授」でずれています.どうやら「僕」は煙に巻かれたようです.「僕」にはp.68,line-2:「新しい課題は意思、具体的には意思のありかを探せになった」理由が分からないようです.

○p.71,line-6:「豚カツはソースを付けて食べなければならない。法律でそう決まったらどうする?」が何を意味しているかは,参考文献から明らかです.恐ろしいことですが,残念ながら世界中で起きています.もちろん日本でも…….

○p.71,line3:「意思は情動を制御できない。でも逆に、情動は意思に強い影響を与えるからね」は本文(p.71付近)にもある通り(生物学的な研究もあるようです),事実と思われます.我々ホモサピエンスという種族の限界を示しているのかもしれません

3章:混沌の中の漬物(pp.73-85)

●論理

○p.78,lines-3-:「論理的に考えればおばちゃんたちのやることも菌のやることも何もかもがばらついているということになる」において,p.79,line2:「大筋は間違ってないけど」と教授が言っているように,結論は正しいが論理的な考察は誤りです.どこがどう誤っているのか──簡単ですね.

●確率

○p.80,line4:「君が会ったのは本当に確率の神様なの?」なる教授の言葉は意味が深い. 玉を置く位置をテント写像と同等になるように制御すれば,玉を置く位置はカオスとなり,玉が落ちる方向{左,右}の系列と2値乱数の間に興味深い関係が得られます.数学的な議論については本書80頁の参考文献と[山口昌哉『カオスとフラクタル』筑摩書房,2010年]を参照してください.また,世の中の現象はあらかじめ決められた運命に従うのか,それとも意志で変えられるのかという議論と同等の議論もできます.多くの神話で原初の神は混沌(カオス)であり,さまざまな文化で確率(サイコロ)は神として扱われているのと関係がありそうです.

●解析

この辺りの記述は専門的な知識(オペレーションズリサーチとカオス:参考文献参照)があるとさらに深読みできそうです.

○pp.73-85の記述から,オペレーションズリサーチ(数式とコンピュータを使って実社会の問題を解く技術)が漬物作りに貢献できることが分かります.それと同時にその限界も分かります.漬物の味(甘味,酸味,塩味,旨味などの味覚項目)を数値化する技術はすでに存在しています.

○以下の展開から本文を読み解くと,教授がとてもややこしい話をしていることが分かります:
・pp.29-30では,「塀の上に球を乗せる問題」は確率的な問題と解釈されている.
・p.79,line-6,p.80,line4:「塀の上に球を乗せる問題」はカオスを発生するテント写像(参考文献参照)と同じモデル,すなわち確定的なモデルで表される.
・p.80,line4:「この世の全てを生み出した始まりの神様」は混沌(カオス)という名の神様を指している(参考文献参照).
・以上の記述から,p.80,lines4-5:「君が会ったのは本当に確率の神様なの?実はこの世の全てを生み出した始まりの神様かもしれないよ」で教授は何を言いたかったのか読み解けると思います.

4章:女王様の好きな赤い薔薇(pp.86-102)

●量子力学

○pp.88-,lines-4-:電子の重ね合わせの記述,およびp89,lines2-3:「誰かに見つかるまでは一つの電子が同時に、ただし確率的に、上向きにも下向きにも自転しながら箱の右側にも左側にも存在しているのだ」により,閉じた箱の中の一つの電子の振る舞いを理解できます.但し,正しい理解のためには,マクロの世界(我々が認識している日常)の常識を捨て去ることが必要です.実はそれが難しい.

○脳は量子力学的に動いているという学説があります(参考文献参照).p.71,lines3-の意思と情動の記述,pp.81-の鍋とお好み焼きの記述,pp.87-の量子力学に関する記述,およびp.98,line8:「当然心も波でできていることになるから」はその学説を基にしていると思われます.もしそれが正しいと仮定すれば,誰かが普段とは異なるような行動をしたとしても,それを理解し,許せるかもしれません.本文にもさまざまな事例が掲載されていますね.

○p.79,line2に記載された究極の小豆洗とはラプラスの悪魔¶のことでしょう.
───────────────────
¶ラプラスの悪魔[出典:本書の参考文献(p.216)]:
フランスの数学者であるピエール=シモン・ラプラスは,ニュートン力学により発達した概念※に基づき,以下のような知性体を考案した.その知性体は,ラプラスの悪魔と呼ばれる.
-------------------------
もしもある瞬間における全ての物質の力学的状態と力を知ることができ、かつもしもそれらのデータを解析できるだけの能力の知性が存在するとすれば、この知性にとっては、不確実なことは何もなくなり、その目には未来も(過去同様に)全て見えているであろう。
-------------------------
※因果律:原因によって結果は一義的に導かれる.
 決定論:全ての出来事はそれ以前の出来事のみによって決定される.
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現在ではラプラスの悪魔の存在は否定されていますが,量子力学の話とカオスの話をからめると面白そう…….

●論理

○p.94,line-6:「何かがおかしい」とあるが,何がおかしいのか?──4つほど考えられますね.もしかしたらもっとあるかもしれません.

○p.94,line-5:自分に同じ事ができるかどうかも含め,「僕」が「ペンキの缶と刷毛を倉庫に戻した」理由を考えてみると面白いと思います.

○p.101,lines6-13: 「また出たのよ」〜「馬鹿ね。氏子の若い衆よ」は,世間によくあるかみあわない会話のパロディですね.主語がない日本語特有の長所と短所が混在しています.日本語と主語については, 「日本語と日本人(第1回−総論)―主語を使わない日本語―」に興味深い論評が掲載されています.

●自由

○p.97,lines9-:「そうじゃない。君の心の中を正確に見通すことなんて誰にもできないってことだよ。例えば、我々の脳は目から入ってきた情報を一秒間に数回から数十回くらいしか認識しないそうだ。そのため条件さえ整えば、お日様の下でも扇風機もタイヤも逆に回って見える」という現象はエイリアシングと呼ばれています.エイリアシングは大学の専門科目(ディジタル信号処理)で学びますが,原理原則は難しい話ではありません.例えば,右回転する4枚羽扇風機を見る間隔(以下の図では1[ms]間隔)を長くすれば逆回転するように見えます.試してみて下さい.

 ↑  |  |  |  ↑  |  |  |
─┼─ ─┼→ ─┼─ ←┼─ ─┼─ ─┼→ ─┼─ ←┼─
 |  |  ↓  |  |  |  ↓  |
───────────────────────────────→t[ms]
 1   2   3   4   5   6   7   8
 図 右回転する4枚羽扇風機の羽の1[ms]ごとの動き(↑は目印を付けられた羽を示す)

○マクロな世界でも観察者効果に類似した事象は生起します.p.91,line-1-p92,line1:「事情を話すと、その人物は管理人になった」はその一例と思われます.同様な事例は他にもありますね.「脳の量子力学的な動き」との関係を考えるのも一興かと…….

5章:知能モドキと双六(pp.103-152)

●確率とカオス

○p.140,lines-1-: 先輩は「確かに君と彼女の二人の存在がこの世に確定したのは偶然かもしれない。でもその後は必然。何度繰り返しても同じ結果になる。そういうこともあるんだよ」と言っていますが,本当にそんなことが起こるのでしょうか?運命?その根拠となる記述が本文にあるように思います.確率やカオスの話(p.79,line-6,p.80,line4:「塀の上に球を乗せる問題」,p.80,line4:「君が会ったのは本当に確率の神様なの?」を参照のこと)と合わせて考えてみると面白いかもしれません.

●人工知能

○p.119,lines1-: 「因子が共変していると面倒だからできるだけ直交している因子を選んだ方がいいよ」とはどういうことでしょうか?詳しくは本書の参考文献を参照してください.

○p.126,line-1:「僕」が作った魚を識別するための双六(知能モドキ(人工知能))は,「(役に)立たない」のはなぜでしょうか?人工知能の限界を示しているとも考えられます.

○p.130,line8:「成績表に記載された設問の数と出題された問題の数が合わない」のは明らかです.では,p.130,lines5-:成績表に記載された問題の項目(視覚的記憶問題,選択問題,自由思考問題,論理的思考問題)の各々が示すと思われる問題は何でしょうか?

○p.132,line8:「私のは単純な双六じゃないのよ。私の吉凶占いと同じ。考えるの。だから当たるのよ」は何かを皮肉っているようにも聞こえます.もしそうだとしたら,何をどのように皮肉っているのか──簡単ですよね?

○以下の記述のように,人の知能と人工知能の違いを示すことを(筆者が)目的とした(と推定される)記述があります.本書の記述を参照すれば,その違いは明らかですね.
・p.105,lines5-: クラス分の手順と,その手順に対するは学生のコメント(p.110,lines-5-:「数人分の記憶だけだから絶対に正しいとは言い切れないけど、設問は論理的な問題じゃない。「僕」たちがどう思うか聞いているだけだ」).
・p.118,lines-1-: 「知能の一部であるところの識別という機能を表面的に真似して、知能モドキの概念設計をすればいい」
・p.126,line-2-: 「役に立った?」「立たないことが分かりました」

●量子論的脳

○p.143,line6:「既に俺はおまえの中にいる。おまえは俺の中にいる」およびp.146,line-3-:「結果として世界中の人が「僕」の中にいることになる」は,現実的(物理的)には否定されます.一方,本書に記載の通り脳が量子力学的に動いていると仮定すれば,脳の認識機能(意識,無意識を含む)においては実現できる可能性があります.それはどういうことでしょうか?

○p.147,lines-1: 「鍋の中のあちこちに具の塊が見える」における「具の塊」とは何を表しているのでしょうか?p.147,lines-1-p.148,lines1:「おたまは気が付かないようだ」とあるように具の塊は「僕」以外からは見えないことと,本状況における「僕」の立場を考慮して,本章の内容から推測すると面白いと思います.

○もし脳が量子力学的に動いているのならば,p.149,lines1-:これから,「彼女を誘う」のお好み焼きか「俺は寝る」のお好み焼きのどちらかが焼ける」はずだったにもかかわらず,焼けたのが「上着を全部脱いでください」のお好み焼きだった」のは,量子力学的に説明できますね.同様に, p.149,line8:「運搬中に形が変わってしまった」理由も,p.148,lines2-:目の前の一つの鍋から二人の話し声が聞こえる(あたかも一人の心(一つの鍋)に二人の人格がいるように見える)ことも,説明できそうです.

●論理など

○pp.105-のクラス分けにおいて,論理的に解答ができない設問があります.簡単に分かりますね.

○p.108,line-4:事務員は「僕」に対して,「君は味音痴だね」と言いましたが,その意図は何でしょう(これも言葉遊び?).事務員は「僕」の事を」本当に味音痴と思っているのでしょうか?また,「僕」はどうしてそのように言われたのでしょうか?

○p.109,line-8:「正解は分からないはずだ」の理由は──簡単ですね

○p.127,line1:「どうしてそうなったか分かる?」における「そう」が何を指しているかについて,教授の意図と「僕」の解釈は同じでしょうか?同じだとすると…….違うとすると…….さて,どのように読めますか?「僕」は意図的に話をはぐらかしてるのかもしれません.

○知能測定を担当している女性が,p.129,line2:「困りましたね」と言っていますが,これは誰が悪いのでしょうか?

○p.129,lines8-:「なるほど。『嘘つきですか』と聞かれた場合、嘘つきの人は嘘を言うわけだから『いいえ』と答えるはずです。君は『いいえ』と答えたから君は嘘つきということになりますけど、間違いないですか?」という質問に対して,「僕」はp.129,line10:「何かがおかしい」と感じましたが,具体的には示せませんでした.嘘つきのパラドックスを基にしていると思われるこの質問に対して,「僕」はどう答えるべきだったのでしょうか?

本書には,現実と虚構が混ぜ合わされている記述がありますが,科学的に考えれば明らかです.以下の記述が現実に起こりうるかどうか考えるのも一興かと思います.
・p.132,lines-4-:「僕」の知らない間に地軸が逆転したのかもしれない」
・p.133,lines8-9:「量子力学のせいで彼女の姿が曖昧になっていた」
・p.133,lines9-10:「エイリアシングのせいで逆立ちをする彼女が見えていた」
・p.142,lines6-:「出てきたのは三分の二のお姉さんだ。─中略─小ささだ」
・p.142,lines-7-:「食べ終わってお姉さんの方に歩いていくと─中略─。「僕」が三分の二に縮んだのだ。」
・p.143,lines4-:「どうやらこの大学にいる動物はすべからくおしゃべりが好きらしい」

○p.138,line-4: 「先輩が変人だという認識はあったのだが、「僕」は怖くてそれ以上聞けなかった」という記述も,p.101,lines6-13の記述と似ていますね.

○p.151,line1:「上で我慢していれば良かったのに」は何を示しているのでしょうか? ネガティブ・ケイパビリティ(イギリスの詩人ジョン・キーツ:「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」)という概念が参考になるかもしれません.

6章:熊と鮭の哲学(pp.153-166)

●哲学

○本章は,p.165,line7:「テーマはカントとニーチェと吉本だったそうよ」とあるように,哲学的な内容を含んでいるようです.以下の描写はいかにも哲学的に感じられます.さて,その哲学的な意味は?
・p.154,lines3-:「司会者は食い入るように見つめる観客の視線を痛いほど感じているはずだ」
・p.154,line7:「私は今、熊に追われています。どうしたらいいか教えてください」
・p.158,lines1-:「鮭は弱いのです。─中略─悪いのは熊なのです」
・p.158,line6:「団結して弱者を救いましょう」
・p.159,lines-1-:「だからこれからは何も食べない。そうすれば体は小さくなる」
・p.160,lines11-:「俺は天国に行けるのか?」「もちろん行けます」
・p.160,line-2:「もちろん行けます。あなたを天国に送るためにあなたを食べるのですよ」
・p.161,line-8:「笹を食べさせれば熊猫にならないかな?」
・p.163,lines3-:「確かに熊は鮭を食う。─中略─それでは腹を空かせた熊と同じだ」
・p.163,line-7:「私を信じて。自分を信じて。私はあなたを信じているわ」
・p.163,line-2:「熊を熊猫にしてあげましょう」
・p.164,line8:「鮭は消えるようにいなくなった」
・p.166,line2:「哲学じゃ食べられないわね」

●その他

○本章の以下の状況は非現実的のようで実現可能です.大学の理工学部の知識があれば,具体的な実現方法を提示できます.
・p.153,lines-4-:「舞台に向かって泳いでいく一匹の鮭がいた」
・p.153,line-2:「そしてさらに信じられないことに、鮭が話し始めた」
・p.156,line-7:「今まで鮭が使っていたマイクを器用に左手で持ち、鮭と司会者に向かってこう言った」

7章:竹取合戦(pp.167-197)


●科学・工学・哲学・パロディ

○pp.170-192:本章は,p.176,line-6:「科学も工学も役に立たないわね」とあるように,二十世紀の科学や工学の考え方は人の心の問題には無力であること(二十世紀の考え方に対するアンチテーゼ)を,以下のようなさまざまな描写により説明していると考えられます.科学,工学,哲学の観点から読み解けると本書に対する理解が深まる……はず?
・p.170,lines-3-:「考えなくてもいいのよ」─中略─「以前作った知能モドキはどうかしら?計算機で作るの。もっともっとすごいやつ」
・p.172,lines-1-:「年末の大祓に出店する屋台の場所割りがなかなか決まらないそうです。─中略─制約条件は問題の簡単化と公平性の確保を念頭に設定されている」
・p.175,line2:「量子力学的に重ね合わせればいい」
・p.182,lines-3-:「究極に尖った棒は閻魔様の席のようだ。─中略─大したものだ」
・p.183,lines1:「司会者が言った」〜p.187,line7:「暴徒と化した女性が舞台に上がり閻魔様と司会者を引きずり下ろした」
・p.191,lines-7-:「それでも注文したのは、─中略─全てを確率の神様に委ねるのも悪くない」
・p.192,lines1-:「ニンニクと唐辛子が利いたキムチの香り─中略─よく分からないにおいとなって立ち上る」
・p.192,lines5-:「混ぜているつもりはない─中略─キムチと沢庵と海老と烏賊のお好み焼きができあがった」

○pp.168-194:以下の描写は,二十世紀の考え方い対する皮肉やパロディのようにも読めます.参考文献(不思議の国のアリス)の記述も引用されていますね.
・p.168,line-1:「言われなかったことを何の根拠もなくやるのは良くない」
・p.184,line-4:「静粛に。判決が先、評議は後だ」
・p.183,lines1-:「司会者が言った」〜p.187,line7:「暴徒と化した女性が舞台に上がり閻魔様と司会者を引きずり下ろした」
・p.190,lines-2-:「三人が繋がったところで先頭の一人が滑って転んだ。他の二人も釣られて転んだ」
・p.192,line-8:「あら、とっても美味しそう。でも彼女がお気に召さないようなら半分こしない?」
・p.194,line1:「その後は見てのとおりよ。後が続けられなくなっちゃった」

8章:紅白の熊猫と林檎飴(pp.198-209)


●科学・工学・哲学・パロディ

○p.198,lines-4: 「あのね、考えるという行為を明示的な手順として書けると仮定すると、考えるという行為は明示的な手順を実行するだけでできてしまう。生きるという行為も同じ。それはどういうことなのかな?」は,考えること,生きる事,人と人口知能の違いについて言及しているようです.さて,その真意は?

○p.200,lines-7-:「太郎君は幼なじみの花子さんのことを─中略─「僕」はそうやって生きている」および当該頁の参考文献(「老子」)より,本章では,「老子」の哲学を,以下のようなさまざまな描写により説明していると思われます.さて,以下の描写の意味は?
・p.200,lines-7-:「太郎君は幼なじみの花子さんのことを─中略─「僕」はそうやって生きている」
・p.201,line9:「だから偶然と成り行き」
・p.201,lines11-;「そして二人はたまたま持っていた」
・p.202,lines1-「神様に頼り過ぎじゃないですか?」
・p.204,lines-8-:「それを合図に子供たちの取っ組み合いが始まった。溢れ出した飴を舐め始め、アイスクリームと林檎飴を奪い合う」ようなことをしていた子供たちが,p.207,lines9-:「だって、初めて警察署に入って素敵な婦警さんに案内されて、子供たちは大騒ぎ。放っておいたらお風呂の中で永遠に遊びそうな勢いだったのよ」のように楽しく遊ぶようになった.
・「そうだったわね。─中略─氏子の若い衆も負けられないって言ってたわ」

○p.203,line10: 「僕」は林檎飴」にあるように,本書のタイトルにもある林檎がここに出てきます.タイトルに林檎が使われていることから何かを暗示していると思われます.さてそれは?

○p.203,lines4-: 「妙な音楽を流している屋台に気が付いた。─中略─アイスクリーム、林檎飴、焼き鳥、薫製、団子、いろいろあるぞ」のような妙な屋台があるのはなぜでしょうか?「僕」と教授の話に関係しているかもしれません.

p.209,lines-4-:「ねぇ、初めてここに来たときのこと、覚えてる?─中略─巫女さんは「僕」を見てうれしそうに微笑んだ」という描写より,p.4,line-3:「彼女の探し物」はどうやら見つかったようです.「彼女の探し物」とは何だったのでしょうか?本書のあちこちに手懸かりが埋め込まれているようです.

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