幼いとき,象の絵ばかり描いていました。道端やアスファルトの空き地を見つけては、ろう石で描くのです。象はあこがれのスーパースターでした。あの荒唐無稽な大きさは全ての大きいものを意味したし、比率からして桁外れに巨大な耳や、大木をなぎ倒してしまいそうなユニークな鼻には、何か得体の知れない偉大な超能力があるのだと確信していました。象の絵を描いていると、無邪気な思い入れが限りなく巨大化したり収縮したりして取りとめのない夢を見ることが出来たのです。

今でも象は大好きです。動物園で仔象に触れるチャンスがありました。うぶ毛の硬さにびっくり。頭をなでてやると、鼻を振り上げてプルプルさせるので覗き込んだら・・・クシュンーって思いきり霧のような鼻水を浴びせられました。幼い頃だったらどんな風に感じたでしょう。きっと素敵な象が描けたでしょう。

造形の仕事をするようになってモノと楽しく取り組めるようになりました。知り尽くしているような物からでも新しい夢が見れるのです。足の踏み場のないほどのガラクタの山が、まるで遊園地のパノラマを眺めるような楽しい時間に変貌するのです。そして思い切り概念のたがを緩めると、意味から意味への飛躍が始まります。紙コップがキラキラと輝いています。ペンギンに見えたりカンガルーに見えたり。ヨーグルトの容器がぴょんぴょん跳ねて走り出しました。キャラメルの箱がストローで懸垂しています。洗濯バサミが羽ばたいています。ガラクタの山は日常の機能から解き放たれた荒唐無稽な夢になるのです。それは、幼い頃の取りとめもない夢と同じなんだなあって思い出されます。

もしも象さんが遊びに来たら?・・・今、子供たちはどんな夢を描くのでしょうか。