建学の理念

公立はこだて未来大学は、「人間」と「科学」が調和した社会の形成を願い、深い知性と豊かな人間性を備えた創造性の高い人材を育成するとともに、知的・文化的・国際的な交流拠点として地域社会と連携し、学術・文化・産業の振興に貢献することを建学の理念としています。

公立はこだて未来大学は、函館圏公立大学広域連合を設立母体として、地域の志と熱意を糧に2000年に開学しました。函館は、日本がはじめて近代の世界に向けて開いた港のひとつとして、ユニークな歴史をもつ港湾都市です。幕府の箱館奉行所が設けた諸術調所は、日本最初の西洋科学技術の教育機関であり、さまざまな成果や人材を生み出しました。このまちの人々は、外国の異文化をどん欲に吸収しながら、新しい科学技術や文化、産業、そして教育などの分野で独自の取り組みを重ねてきました。

道南圏唯一の公立大学である公立はこだて未来大学は、情報系単科大学として、20世紀末から爆発的に進展をつづける情報社会のグローバル化に呼応しながら、システム情報科学を基軸にした人材の育成と研究の未来、そして地域の未来を拓くことを針路としています。

学習共同体としての大学構想

1.背景<個人的な営みとしての「知識獲得」>

これまでは大学という建物には、教員と学生と事務職員だけが存在し、教室では黒板の前に教員が立ち、標準的な教科書を使って学生に対して一斉授業を行っていました。

この背景には「学習」という人間の知的な営みを、「知識獲得の行為」としてとらえてきた学習観が存在します。人間の心を容器とみたて、そこに「知識」を注ぎ込んでいき、それをため込むことを学習とします。この知識獲得の概念はあくまでも注がれる容器は「個人」であり、その行為自体も個人的なもの、したがって学習という営みを個人的なものとしてとらえてきました。そしてその知識をため込むまでの行為だけを重視した上で、これらをいかに効率よく行うかが教育の目標とされ、上述のような学校の姿ができあがってきたのです。

問題解決能力の評価は、学校においては個人の頭の中にある記憶だけを頼りにしなければならず、さらに司法試験や公務員試験など、学校文化を背後に持つ特殊な出来事を「ものさし」として行われてきました。しかし、それらの試験に合格した人たちは、現実の場面では個人の頭の中にある記憶だけを頼りにしているわけではないのです。私たちの日常生活を見直してみると、頭の中にある「知識」だけでなく、ものや人を利用して上手に問題解決を行っています。何か問題に遭遇すると、他人に相談したり、本を調べたり、道具を利用したりと、様々な方法で情報を集めて解決しようします。問題解決においては、知識の獲得にとどまるだけではないことに注意を払う必要があるのです。

人間の学習は、「知識獲得」という個人的な営みではなく、対話やコミュニケーションから生まれるものであり、そのときの状況や文脈とは切り離せないものです。学習は個人の中だけで起こるものではなく、共同体との社会的な関わりや、その共同体の中に存在する様々なものとの相互作用を含めて生じる過程としてとらえるべきなのです。

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2.「仕切り」を取り払った学習環境のデザイン

オープンスペースの利用による学習の活性化

C&D_MG_9975大学教育には多くの「仕切り」があります。公立はこだて未来大学では、その仕切りを取り払うことで、新しい学習の環境をデザインしました。その仕切りとは、教室の仕切り、科目の仕切り、学習者の仕切りです。今までの教室では、教員が教壇に立つことによって一方的に話をする、それを学生が受け取ることで、授ける人、受け取る人の役割がはっきりと分かれ、学生はいつも受け身であることが暗黙のうちに求められてきました。この教室の仕切りを無くすことによって、グループで作業をしたり、話し合ったりと、視線が様々な方向に向けられ、教員もその中にはいっていくことがきます。またそこを通りかかったクラス以外の教員や学生とも接触が起こります。「おもしろそうだからちょっとのぞいてみよう」ということも起こります。一斉授業も行いますが、そのクラスのスタイルにあった机や椅子、その他の道具の配置を教員と学生とでデザインしていくアプローチを積極的に取り入れていきます。開放的な空間であることが、人間の活動をより活性化することになります。この開放は授業だけでなく、研究活動にも交流を促す機会を与えることになるはずです。

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プロジェクト型学習の導入

大学の講義では特に、専門的な分野を系統立てて教えることが最善あるいは必要とされてきました。しかしそのために、学生にとって今学んでいることがどのようなことに将来結びつくのかがはっきりとせず、単位を取ること自体が学習の目的になってしまっています。個々の学問分野には必ず、人間の社会的な活動が関連しています。プロジェクト型制学習とは、通常の学問分野ごとに整理された知識の提示を行う講義と異なり、その分野の「仕切り」を取り払います。その内容は人間の活動を体験するという意味を持ち、形式的にはいくつかの分野を統合した題材を扱うプロジェクトを単位としたカリキュラムによる学習です。このプロジェクト学習のデザインの背景には、人間は自分の生活あるいは社会的活動として意味のある活動の中でより多くを学ぶという事実があります。学生は自分が参加するプロジェクトに与えられた課題を解決するために、情報を収集したり、実験を行ったり、モデルを作ったり、シミュレーションを行ったり、アイデアを創作したりという活動に従事することになります。

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協調的学習とティーム・ティーチング

協調的学習とは、学生が学習共同体を組織し、協調的に学ぶことを促進させる環境を提供することを意味します。それは新しい学習の方法と内容の両側面からの支援です。学習の場面に対し、協調的という用語を使用する背景には、「学習とは個人の中で起こるものではなく、そもそも共同的なものである」という学習観があります。できあがった知識を流し込むのではなく、問題や関心を共有し、解決しようとし、共通の言葉で話すことによって共同体が構築され、学び合いの場が生じるという考え方です。

それを実現するために、個人の活動という「仕切り」を取り払い、各メンバーが相互作用しながら協調的に活動する場を提供する必要があります。これは社会の中で個々人が、それぞれ異なった役割を果たすということを意味しています。言い換えれば、学習の場に参加する個人がそのプロジェクトの中での自己のアイデンティティを持つことです。この場においては、専門分野の異なる、または指導に対する視点の異なる複数の教員が共同で一つの講義あるいはプロジェクトに参加します。これは、ある課題についての学習内容を多視点的にとらえることのおもしろさを伝えることをめざしています。このティーム・ティーチングにより、講義やプロジェクトの内容が豊かになり、また学生に対する評価も多次元的になるという効果も期待されます。

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コミュニケーション・スキルの学習

自己の確立のためには他者との対話能力が、ある時点から非常に重要なものとなります。このため、対話能力を身につけるための基礎的な訓練を充実させるとともに、その理論的な裏付けを行うことのできる専門家をカリキュラムの中で重要な柱の一つとして配置します。大学での学習すべてについて、サイエンティフィック・コミュニケーションを重視します。ここではコンピュータ・リテラシーと同様に、語学というものが「仕切られた」単独の学習の対象ではなく、表現の一手段として位置付けられています。

サイエンティフィック・コミュニケーションの目的は、様々なメディア(映像、画像、音声、印刷物など)を利用して、専門家でない様々な人々のために、科学技術について、講演や、説明ができる有能で、自信を持ったコミュニケータを育てることです。例えば、科学ショー、インタラクティブな科学展示、印刷メディアや電子メディアの企画、制作などがその活動内容として存在します。その中で、サイエンス・コミュニケーションにおける自分自身の力を認識し、評価し、伸ばすことが要求されます。学習内容としては、プレゼンテーション、展示デザイン、メディア利用技術や、人間の認知やコミュニケーションに関する理論、協調的な問題解決、プロジェクト運営などです。これらを具体化するために、様々な人々が出入りし、共同作業を行っていく地域社会に開かれた場として、大学のミュジアム・スペースが存在するのです。

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学習者の多様化

大学における「仕切り」のひとつとして、学習活動の参加者が教員と学生だけに限定されていることがあります。プロジェクト学習やコミュニケーション・スキルの学習を行っていく中で、この仕切りを取り払うことを考えます。プロジェクトの課題として、地域に存在する問題を解決していくこと、例えば、生涯学習のための施設である図書館や水族館のデザイン、障害を持つ子どものための遊具のデザイン、地方都市における書店のあり方、大学における活動の紹介などです。これらの課題を解決していく際には、幼稚園から高校生までの子どもたち、一般市民、関係機関の人々、リタイアした人を含む技術を持った人々などの協力が必要です。大学の事務職員も強力なメンバーです。この様な人々が大学の中に入ってくることによって、構成員が多様化し、コミュニケーションのあり方がより現実世界に近いものとなっていきます。このコミュニケーションによって学習スタイルも多様化し、学ぶのは学生はもちろん、大学が中心となって、そこに参加する人々すべてに学ぶ機会が与えられるのです。そしてそれは地域に開かれた学習の拠点としての大学であり、地域全体の向上、活性化につながります。

3.学びの中心である学生

見習い研究者としての学生

伝統的な学校教育では、標準的な教科書を用い、知識を与えることまでが教育の活動とされていました。その結果、学習活動は、学校という閉ざされた社会の中だけで行われ、学校で教えている教科内容とそれに関連する専門家が行っている現実社会における活動とは異なる活動となっています。

専門家の行っている活動とは、科学者に関していえば、問題を発見することや、仮説を生成し検証することにあたります。これに対して現在の教育で行われていることは、定理や公式を覚えることであったり、すでに結果の出ている問題の証明をたどることであったりするのです。また、これらの知識を「定着」させるための類似問題をいくつも解いていくようなドリル・アンド・プラクティス形式に偏った教育に陥っています。これらのことは、結果的に自分で対象を見つめ、自分で探求のための行動を起こすというおもしろさを学習者から奪い、多くの言葉や事実を記憶させ、得てして人間の活動を袋小路に押し込めるような詰め込み型の教育につながってしまっています。このような状況が受け身の学習者を作り出しているともいえます。

その状況を変えるべく、公立はこだて未来大学では学生を「見習い研究者」として扱います。見習い研究者とは、先輩研究者からいわれたことだけを行うという意味ではなく、研究活動に役割を持って周辺的に参加していくことを意味します。そうして徐々に、研究活動、すなわち自分で問題を発見し検証していく活動に携わっていくのです。そのためには「先輩研究者」である教員は、自分たちの行っている活動を意識して見習いに見せ、参加する場や参加の軌道を用意していく必要があります。近年、通信メディアや科学技術志向によって個人のアイデンティティが失われつつあります。

この様な時代の中で、人間として生まれてきた喜びを味えるというのは自分の役割やその大切さを見つけることができることであり、そのような人材を育成することが重要です。言い換えれば自分の哲学を持つという意味で、学生の一人一人がソクラテスになったり、プラトンになったりできるような環境を提供するということを公立はこだて未来大学はめざします。同時にその哲学を表現し伝達する技術、哲学を日常生活に活かせるための科学技術を与えます。
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成果としての自分史

現在の日本の大学教育では、ペーパーテストで測定可能であるような知識に関しては、能力が身についたことは保証しますが、学生自身が教育を受けることの意味付けを行い、それをその後の生活に役立てることについては評価外におかれています。このため本来の学習の目的が希薄になってしまっています。

公立はこだて未来大学では、学生は自分が行ったことが、自分やその環境、自分を包含する社会にとってどのような影響を及ぼすのかを、常に意識して行動することを要求します。最終的に身についた知識や技術、できあがった作品に対する評価よりも、行動することにより自分自身がどのように変化していったかの過程を重要と考えます。したがって、自分が変化するための素材を学びの場として提供します。 評価とは「客観的に」「相対的に」点数を与えることが目的ではなく、学習者の次への行動の指針となる学習フィードバックであるべきなのです。学生は成果としての自分史を4年間かけて制作していきます。ポートフォリオは卒業までに何を学び、どういう専門知識、いかなる文化的背景をもち、どのようなプロジェクトにどのように関わってきたかという過程をまとめたものです。同時に自分の手で努力によって形成した自分のアイデンティティそのものでもあります。

このポートフォリオは入学以来蓄積され、卒業までに毎年、複数の教員の評価を受け、指導の資料にも用いられます。卒業論文とともに評価基準としても利用され、履歴書にとってかわるような、外界の社会とのコミュニケーションにおいても有効な自己表現のツールとして利用できます。

展望<学習共同体としての大学>

96A6237以上のような学習環境を提供していくことにより、大学を学生だけが学ぶ場とするのではなく、地域や企業、教育関連機関の人々、大学の教員、事務職員など、大学に関わるすべての人に対して学びの機会を提供します。公立はこだて未来大学では、人間を「生涯学び続ける者」として明確に位置付け、常に学び続ける存在である人間を、構成メンバー間の相互作用をもとに、共同体として育てる場となることをめざします。