Activity
2022-05-31

[Message for FUN]共に創り、共に幸せになる(岡本 誠)

[Message for FUN]

2020年に20周年を迎えた公立はこだて未来大学では今後数年に渡り、大学の礎をつくった先生たちの定年退職が続きます。シリーズ[Message for FUN]では、そんな先生たちが大学へ注いできた思いと創設に関わった貴重な経験を振り返り、未来の学生、卒業生となる皆さんへメッセージを贈ってもらいます。
今回は、知覚デザインや共創を研究する岡本誠先生です。

共に創り、共に幸せになる

岡本 誠(情報デザイン、知覚デザイン、 参加型デザイン、インタラクティブデザイン)

 

「非視覚×IT」から生まれた「知覚デザイン」

大学を卒業してしばらく、デザイン会社でプロダクトデザインの修行をしていました。その後大学院に進学しましたが、たまたま近くで筑波科学未来博覧会が開催され、会場で初めてMacintoshコンピュータに出会ってから、自分のデザインの考え方が一変します。これからは「ハードウェア」ではなく、「ソフトウェア」をデザインする時代になる。当時はそんな雰囲気が漂っている時代で、富士通のデザイン部門に雇ってもらいました。

その頃はユーザインタフェース(UI)の開発もまだ黎明期。配属されたデザイン部のデザイナは、全てプロダクトデザイナでした。新人3人でUIの勉強会をして、UIの小さな部門を作ってもらいました。今では当たり前に使われているデスクトップのアイコンをデザインすることから始め、さまざまなソフトのUIをデザインしました。またネットワーク上の仮想空間でアバターを介して会話やゲームができる「Cyber Space」を企画・開発しました。

ある時、大学の恩師から「函館に面白い大学ができる。手伝ってみては?」と言われ、開学準備を手伝い始めました。しばらくして着任のお話をいただき、現在に至ります。ぼくの人生は万事がこう。「ちょうど来たバスに乗った」感覚なんです。ピンとこないバスには乗りませんが。

富士通時代の「Cyber Space」画面。今から30年前にアバタを使ったコミュニケーションサービスを企画・開発していた。

企業では「視覚的」なデザインが中心でしたが、大学着任と同時に新しい研究テーマを探し始め、目の不自由な伊藤精英先生と出会ったことで知覚について興味を深めることになりました。伊藤先生たちと取り組んだ最初のプロジェクト「CyARM」では、小型ロボットで使われるような距離センサやモータを利用し、手に持って環境を非接触に知覚できる装置を開発しました。
視覚を使わずに外界を感じる装置をいくつも作る中で、我々が日頃頼りにしている視覚や聴覚は知覚のほんの一部であるということ、触覚という普段意識していない知覚は、ヒトと外界をつなぐ重要な接面であり、知覚の形成に強く影響を及ぼしていることを知りました。体の知覚システムをちゃんと理解して、知覚の力を情報技術で支えることを「知覚デザイン」と名づけました。

3本指で対象を理解できる「Future body finger」。ガラスの向こうにあるものも「触る」ことができる。

まち、海、チームで考える「参加型デザイン」

大学で情報デザインの授業をしていても、そこにはデザインしたサービスやツールを利用する普通の人たちがいないのです。「もの」のデザインならまだしも、「こと」のデザインをするのに肝心の「こと」に関わる多様な人の暮らしが見えない、声が聞こえないのはとても意味がないことと思いました。そこで授業はできるだけ街でやってみたいと考えるようになりました。

その思いが伝わって、ある人に大正時代から続いていた銭湯が廃業したスペースを紹介してもらい、「大黒湯デザインベース」と名づけました。まちなかのデザインの教室です。ここで授業やワークショップをしていると、ご近所の方々が「何をしているの?」と顔を出してくれます。この距離感がとても良いのです。発表の時に学生の理解が浅いと、聴いている近所の人の顔がみるみる厳しくなっていきます。このリアルさが良いのです。
インターネットなどの便利な道具で受動的に社会を見るのではなくて、身体を使って能動的に動くことによって世界が見えてきます。未来大生は、綺麗な箱の中に行儀よく収まっているのではなくて、街に出てデザインを実践し考えるべきです。

前述の「知覚デザイン」を伊藤先生たちと一緒に考えていったように、「こと」をデザインするには、一人の力だけでは全く不十分です。「こと」に関わる人たちと共創する中で互いに学びあい、自然と理に叶うものを作ることができ、さらにデザインに関わった人たちがデザインすることへの自信を得ることができます。
そうして「共創」的に未来を考えていく場が自然に定着し、デザインという概念が広がります。もともとデザインはみんなの営み。街や山河に出てはじめてわかる「共創」の営みです。

私が海に出たお話をします。ある日、和田雅昭先生から声をかけられて、マリンITに参加することになりました。最初の仕事は、ナマコ漁用のデジタル操業日誌のUIデザインでした。たまたまバスに乗ったような感覚で未来大に着任しましたが、今度は気がつけば船に乗っていたんです(笑)。
マリンITの船団旗もデザインしました。そのシンボルマークを気に入ってくれた漁師さんが自分の船にもペイントしてくれたのを見た時は嬉しかったですね。

インドネシアの漁船に掲げられたマリンIT旗
「マリンIT」船団旗。魚の表情はノーマルとコワモテの2パターンある。漁師さんの評価は二分した。
漁師さんが自船に描いたマリンITのシンボルマーク

企業時代はデザイナがものづくりの上流にいると感じていました。市場調査の資料や営業からのリクエストをもとにデザインを考える。「もの」づくりのデザインでは、それが効率的な進め方なのだと思います。
一方、「こと」のデザインは主体を含むプロセスです。デザインに取り組む時は自分を「こと」の中に置くことが大切です。
新しい「こと」の世界に飛び込むと最初は、勇気が必要です。障がい者や台湾の人たち、漁師さんたちの中に佇んで、まず周りを見渡し、少しずつ話をして、その中で自分は何ができるのか、自分の役目は何かを考える。絶対的なものだと思われがちなアイデンティティは実は相対的なものですから、自分は「体力に自信がある!」と思っていても、乗り込んだ船に力自慢がたくさんいたら、見張り役になるかもしれないですね。新しいバスや船に乗るのは、自分の得意なことや役割を見つめ直すことなのだと思います。

ジャワ島東部(ムンチャー)の漁師さんの1日の仕事を図を描きながら理解し合う。

俳句とデザインの共通点を探りたい

退職後も引き続き、障がい者の方々と一緒に考える知覚デザインや共創に関する研究を続けていきます。教育面でも俳句がお好きな函館西高校の先生とご縁があり、「共創とデザイン」をテーマにした授業をお手伝いすることになりました。
自分の気持ちをわずか17文字で表現する俳句と、つくり手の意図を凝縮して表現するデザインには重なるところがあり、個人的にも掘り下げていくのが楽しみです。

未来大と函館西高とのワークショップで作った俳句ポスターは市電で展覧会をした。

未来の学生へ ~面白そうなバスや船に飛び乗る行動力を大切に~

未来大生はパソコンに向かう時間が長いのが気になって、ぼくの研究室では大学の敷地の端っこに小さな畑をつくりました。毎年卒研生や院生が、自分たちの好きな野菜を植えていました。当初は僕が農機具や肥料を買っていましたが、ぼくは彼・彼女たちの“お父さん”ではないので組合制を導入しました。一口500円くらいだったと思いますが、学生たちも出資する以上は植える野菜や水やりの当番を決めるのも皆、真剣です。時にはキツネに畑を荒らされて涙を流し、収穫祭では満面の笑顔を浮かべる。授業では味わえない時間を過ごしてくれていたようです。

畑もITも、用意されたことばかりをやっていては面白くないですよね。ぼく自身、未来大で企業デザイナーは体験できないようなことばかりをやらせてもらい、気がつけば参加型デザインの本場であるデンマークや台湾の大学関係者からも「ユニークなことをしていますね」と評価していただけるようになっていました。

それはきっと自分一人の頭の中で考えるのではなく、大学や函館のまち、海の人たちと一緒に考えて、共に幸せになれる道を模索してきたからなのかもしれません。皆さんも面白そうなバスや船が目の前に停まったら、飛び乗ってみてください。(2022年3月)

台湾との交流

台湾交通大学でのワークショップのプレゼンテーション風景

2003年のアジアデザイン国際会議で一期生7名と一緒に岡本研究室の取り組みを発表したところ、大きな関心を示してくれたのが台湾の大学関係者だった。以来、台湾の10以上の大学や研究機関が未来大に視察に訪れ、2005年から毎年国際デザインワークショップを開催した。
研究室では台湾からの留学生も受け入れ、大学院の修了生たちは帰国後大学の教員になり活躍している。未来大や国際ワークショップで学んだことを活かして、アジアにデザインのネットワークを作ってほしいと期待している。