「みんなが私たちに拍手する…、優勝!?」
「審査結果を聞き逃していたら、みんなが私たちのほうを向いて拍手してるんです。それで、優勝に気づいて…」。大島さんにとってもサプライズな受賞だったようです。大島さんらが臨んだ大会は、全米を舞台に展開される、モノ×インターネットをテーマとしたハッカソン「THE INTERNET OF THINGS」。米国の通信会社AT&Tや半導体大手のインテルなどが主催し、「24時間でモバイルアプリを作る」というテーマで、2013年夏から全米4会場で予選を開催。予選を勝ち抜いた上位8チームが2014年1月、ラスベガスの決勝戦に進出しました。
そもそもなぜハッカソンに参戦? 「シリコンバレーで働いている友人の“しゃんさん(陸翔さん)”に誘われて、8月に開催されたパロアルト会場にエンジニアとして出場したのです。英語でのハッカソンは私にとって初体験だったし、作りきるぞーって勢いで参加」。しかし、初めての挑戦に加え、会場で聞いた“お題”は想定外だったようです。「モバイルアプリを開発するイベントという認識だったのですが、なんと課題はWindows8アプリ開発。開発用マシンとしてMacしか持参していなくて、Windows8アプリ開発の経験もなかったし」。会場で貸し出されたDellの18inchタブレットを前に、まずはしゃんさんと作戦会議からスタート。「iPhoneじゃできないけど、18inchタブレットならできること。コレ(XPS18)が欲しくなるものを考えてみよう」という流れから、プロダクトの輪郭が少しずつ見えてきたそうです。
プロダクト開発はチーム力
「1人でプロダクト開発をすると、どんなものなら期限内で作れるだろう?といったような限定的な思考についつい陥りがちになるけれど、2人だと話が盛り上がり、構想や夢がどんどん膨らんでいく。そこが面白い」と、大島さんは言います。しゃんさん・大島さんチームが開発したのは、「食べ物の絵をタブレットの画面に実物大で描くとそのカロリーが表示される、モノとネットを融合させた健康管理ソフト」。ネーミングはFoodとDrawで「FooDraw」。パロアルトでの予選を2位で通過し、今年1月にラスベガスで開催された決勝戦に進出。果たして、大島さん・しゃんさんチームは並み居る強豪を抑えて見事優勝!
さて、ここからは、大島さんと一問一答。
―ハッカソンとは、文字通り、Hack(コンピュータシステムの動作やソフトウェアの機構を詳細に解析しプログラミングする高度なエンジニアリング)のマラソンですが、もともとこの種の耐久レースは得意なほうだったのですか?
「得意というのか微妙ですが、高校生の頃からコンテスト形式のものは大好きでした。北海道に住んでいると、なかなか東京には行きづらくて。高校生ITキングというテレビ番組のロケへ参加した時に、東京への交通費が支給されて味をしめました(笑) 。大抵のコンテストは入賞すると交通費が無料になるので、それが高校生の頃の秋葉原へ遊びに行く手段となっていました」
―はこだて未来大在学中には「未踏プロジェクト(※)」にも挑戦、見事採択されましたね。挑戦し続ける、その原動力は?
「過去の自分を超え続けなくちゃという焦りに似た気持ちが常にあります。16歳でWeb教材開発コンテストで日本一を取ったり、18歳で書籍を書いた自分をどうやったら超えられるか? 当時は常にアレコレ考えていました。未踏自体は大学3年生の時に落ちていて。4年生で再挑戦、採択されたのは修士1年、23歳の時でした。どんなに負けても勝つまで挑みつづける粘り強さ、猪突猛進する勢いの好奇心を大切にしています」
※未踏プロジェクト/正式名称は「未踏IT人材発掘・育成事業」。世界に打って出ていくことのできる“突出した逸材(スーパークリエーター)”を発掘育成することを目的とした国家プロジェクト。応募要件は、国内在住でITを駆使してイノベーションを創出できる独創的なアイデアと技術を有する、25歳未満の個人またはグループ。
―在学中のお話をもう少しお聞かせください。はこだて未来大の学生は1年次から全員がWindowsとLinuxのデュアルブートのノートPCを所有しますが、大島さんはどのように使いこなしていたのですか?
「ほとんどの学生は大学の推奨機を使いますが、自分で選んだLet’s Note W4のカスタマイズモデルを使用していました。オレンジの天板がとても可愛かったので、自分でWindowsとSuse Linuxをインストールして、デュアルブート環境を構築していました。LinuxではXenというVMが起動出来なかったバグがきっかけでVMへ興味を覚え、時間を見つけて様々なOSをインストールしたり設定を変更してみたりしてずっと遊んでいました。Gentooのインストールは結構苦戦した記憶があります」
―学部3年次では課題に対して学科・コースを横断しチームを組み課題発見から解決の道を探る「プロジェクト学習」という授業がありますが、大島さんはリーダー役として活躍したそうですね。難しかったこと、また、プロジェクト学習のなかで得た最も大きな成果は何だったのでしょう?
「“夢を描いて全力で創る”という情熱的な哲学を学べたことが、最も大きな収穫。私たちは、2m立法空間に赤外線ペンとヘッドマウントディスプレイを用いて、3次元に絵を描く“空中お絵かき”を作りました。このときに作ったモノは単なる授業の課題成果物でも、ネタなガジェットでもなく、私たちが想い描いた未来だったと今でも確信しています。
とはいえ、やはり作ることは簡単ではなくて…。最も難しく感じたのは他でもなく人間関係でした。七人いれば七様の考え方があり、気持ちをどこまで尊重するか?を考えると悩んで、失敗したりもして。最後まで一緒に走り抜いたメンバー、支えてくださった先生方には本当に感謝しています。
技術力はいくらでも身につくし、どこまでも成長出来る。分からないことは学べばいいだけだし、出来ないことは練習すれば良い。だからこそ、それらを実行する人そのものが重要だと学びました」
―大学から社会(世界)へ出て、3年。この3年間の時間は大島さんのなかでどのように流れていますか? この先には何が見えていますか?
「生きる場所の選択肢が少しずつ広がってきていると感じています。函館も、東京も、カリフォルニアも、選択肢のひとつ。「どうしてアメリカが良いの?」と多くの人に質問されますが、私にとってはとてもシンプルで。初めて大学以上の“楽しくモノづくり出来る環境”に出会えたからだと思っています。アメリカで働くにはクリアしなければいけないことが沢山あるのですが、私はここでコードを書くことが本当に何よりも楽しくて、頑張っていたら3年間が爆速で経過していました。
ソフトウェア開発がフレームワークの力で容易になり、ハードウェア開発がオープンソース基板や3Dプリンタの登場で敷居が下がり、モノづくりは大衆化していきます。そんな中で、私は何を作って誰を幸せに出来るか? どんな問題を解決できるか? どうやったら世界一になれるだろう? と考えて、いつも楽しくてニヤニヤしちゃいます。
同時に、技術と情熱さえあれば、海外で挑戦することを望んでいる人が飛び出しやすくなっていると思います。今は大学の後輩がアメリカへ遊びにきたら、アパートを宿として貸し出したりちょっとでも応援できたら嬉しいなと考えています。
モノづくりも海外へ飛び出すことに関しても、チャレンジの敷居が着実に下がってきていると感じています。だからこそ、私は常に全力疾走で生きていこうと思います」
―ありがとうございました。これからのますますの活躍を函館から、日本から、そして心から祈っています!
HACKATHON “THE INTERNET OF THINGS”
WebSite http://iothackathon.co/
Facebook https://www.facebook.com/IoTHackathon
大島孝子さんプロフィール
高校時代(函館中部高)はパソコン研究部に所属。教材用ホームページ作成の全国大会で最優秀賞を受賞。公立はこだて未来大学6期生。システム情報科学研究科(大学院)へ進み、2012年に休学してインターネット事業大手の「サイバーエージェント(東京)」に入社。12年秋から米国駐在員としてシリコンバレーのそばのサンフランシスコに勤務。