[Message for FUN]
公立はこだて未来大学(以下、未来大)誕生の時からプロジェクト学習の始まりまで、ずっと何がベストの教育なのかを考え尽力されてきた美馬義亮先生。プログラミング教育では「分かったつもり」になる学生の多さに気づき、さまざまな取り組みをされてきたそうです。このインタビューでは先生の経歴とそれに重なる未来大の当時の様子をふり返るとともに、先生が興味を持たれている研究テーマ、エンジニアへのメッセージを語っていただきました。
美馬 義亮(インタラクティブ・システム、芸術情報)
公立はこだて未来大学が出来るまで
未来大を作る時、その「計画策定専門委員会」に40歳に満たない人たちがあつまり、1年以上かけてどのような大学にしようかと話し合いました。その話し合いの中で私は、これまで自分が小学校から大学まで受けた教育はベストなものだったのかを振り返っていました。
教室で先生が一方的に話すタイプの一斉授業では、分かっていることを聞く分には、知識の確認にもなるので悪くないのですが、自分がよく分かっていないまま聞かなければならない時は授業がつらく感じたことを思い出しました。新たな大学をつくるのだから、授業に参加した人たちが、学ぶことをもっと楽しめて、よく考えられて、さまざまな体験として味わえるようになる教育が出来ないだろうか、と考えつづけました。
あわせて、新たにつくる未来大ではコンピュータサイエンスを教えることになっていました。1980年代のコンピュータサイエンスの研究の関心事は、ハードウェアやソフトウェアをどう効率的に作るかにありました。また、そのころコンピュータをつかう人は、少数の「優秀な人たち」であり、コンピュータの使い方は難しいことが当たり前だったのです。ところが、1990年以降パーソナルコンピュータが普及すると、特別な教育をうけていない普通の人でもコンピュータを容易に使えるようにするためのユーザインタフェースの研究が始まります。
コンピュータを使いやすくする研究をしている人たちは、心理学の専門家やデザイナの方たちでもありました。同時に、視覚的なデザインを行う技術もパーソナルコンピュータの登場で大きく変わりました。80年代を過ぎると出版用のソフトウェアが登場し、グラフィックデザインの世界では、ペンや定規、ポスターカラーではなく、PhotoshopやIllustratorといった編集用のアプリケーションプログラムをデザイナが使う必要がでてきました。美大の人は、自分達もコンピュータを学ぶ必要があることに気づきます。
「道具としてのコンピューティングを心理学系や美術系の人たちが学ぶ大学も必要ではないだろうか」、未来大に情報デザインコースができたのは、そのような時代の流れを汲んで、必要な人材を育てていくことにフォーカスした結果でもあります。
美術系の大学で、我々はどういう教育がおこなわれているのかを見せてもらいに、多摩美大を訪れてみました。すると、そこでは理科系の演習のように週に1度の実習を(細く長く)1年間続けるのではなく、実習を短い期間に行っていました。実習では同じ課題を対象とする授業を週に何回か集中的に行います。授業はセメスター制になっていて、1年を4つに分けて7週間ずつくらいで1つの課題に取り組んでいたかもしれません。授業で課題に向き合うことの目的は、特定の表現技術を獲得することが直接の目的ではなく、与えられた問題を自分なりの方法で解決することでした。授業のなかで与えられた、問題解決という目的を達するために、個人の表現技術はごく自然なかたちで深化していたのです。
要するに、何かひとつの技術を自分の経験や能力として定着させる教育においては、問題解決を体験し、自分の専門性を前提に立てた解決手段を実現するという経験が重要だったのです。その過程で、(たとえば、それがプログラミング技術となる場合もありますが、)学ぶべき技術に向かい合い、それらを獲得するという仕組みになっていたのです。未来大のデザインコースの学びもそういう構成にできないかと考えました。
プロジェクト学習のはじまり
このように、「問題解決の手段として愉しみながら知識を獲得する」という学習に対する考え方は、開学前の話し合いを持つ中で、多くの教員予定者の皆さんが持つようになりました。ところが、この「思い」というのは、その時点では学習手段の提供という意味では十分な具体性を持っていませんでした。実際に、学部の240人の必修科目にして運用しようとすると、手法としての前例がなく、教員たちが持つべき教育の指針としては、具体性においてはまだ、不完全なままだったのです。
私はこのプロジェクト学習の具体的な実施計画を立てるという役割を担当することになりました。日本では、丁度2000年から小学校や中学校で総合的な学習の時間(総合学習)が始まっていたので、私はその手引書となっていた、アメリカにおける総合学習を紹介する本を紹介されて読みました。
そこには、児童や生徒たちがグループを組んで解決する共通のテーマを持たせることができること、グループのメンバーが同一のテーマに興味をもちながら、対象に異なる立場で活動にかかわるための方法や考え方が紹介されていました。また、学習者をどのように評価すれば良いのかなどの全体としての教育活動としての枠組みも紹介されていました。
プロジェクトの構成員は、同じ問題を解決しようとしているけれど、それぞれが同じ役割をするものではないので、構成員が個性を持っているという前提があった方がやりやすいと考えられます。もともと小学生は日々の学習内容はみな同じなので、その意味での個別性は持ちにくいと考えられます。これに対して、大学生はもともと一人ひとりが学ぶことが違っています。3年生になると、未来大の学生はそれぞれが異なる専門性をもっており、デザインを学んでいる人、プログラミングする人、数理モデルを提唱して見せる人もいるわけです。こういう多様な集団でプロジェクトを構成すると、問題に対して異なる視点が持て、多くの解決法が提案でき、その中から優れたものを選ぶということができます。プロジェクト学習はそういう意味では、同質な構成員より、多様性のある構成員からなる学習者と相性がよいと感じました。そこで未来大のプロジェクトでは、専攻の近い人をまとめることをせず、全学の人たちが自由にチームを組めることにしました。
最終的には、先生を20チームぐらいに分け、それぞれの先生には解決すべきテーマを作ってもらいました。次に、テーマを学生たちに公開して、希望をとります。人気のなかった先生は、他のチームのサポートに回ります。人気の高いチームは工夫をしていて、士気が高いということが好循環になります。そうではない先生も、次の年度こそはと挑戦して、どんどん面白いテーマが出来てきました。
プロジェクト学習のなかで、中間発表や成果発表を行うのは、美大の「課題」発想にも近いと思います。美大では、自分の作品をアトリエで作ります。そして、相互に眺めながら作品を批評したり発表したりという機会があって、そこで良い作品をつくることに対する焦りのようなものが誘発されます。同様にプロジェクト学習でも、「うちと同じような環境なのに、どうしてあっちの方がカッコいいんだ?上手くいっているんだ?」などと思う「疑問や向上心」を生むわけです。同じ立場にある他者を意識しつつ切磋琢磨していくという面白さがあります。
未来大のプロジェクト学習は、発想は単純で、学生を集めて勝手に問題を解かせているに過ぎないとも考えられるのですが、その教育環境は20年以上にわたって細部のデザインの改善がなされています。毎年のプロジェクトの最終報告書を読むと、受講者は全体としては難易度の高い問題に、士気の高い状態で立ち向かっていると感じます。
プログラミング教育
私は開学1年目からプログラミングの入門教育を担当しています。最初の頃は、試験の結果だけを見て、学生がしっかりとプログラムを書いてくれると考えて、安心していました。ところが、とある学期の終わりころに、教育を終えた学生に試験よりずっと易しいはずのプログラムを書いてもらおうとすると、それを満足に書ける人が2割程度しかいないことがわかり衝撃を受けました。
原因は、例えばプログラムの文法、書き方が分からないということもあると思いますし、そもそも基本となる概念を学んでいないのに分かっているふりをしていたということもあり得ます。気づいたことで一番重要だったのは、先生たちには「学生たちがこんな簡単なことが分かっていないはずがない」という誤解(思いこ込み)があることでした。加えて学習者にも、「わかっていないこと」が気づかれていないのではないかと感じました。
実は、与えられた問題が簡単なものであれば、自分が書こうとするプログラムと似たような動作をするプログラムの例が、教科書の例題などにもたくさんあります。試験では、例題をみてもよいとしながら、与えられた動作をするプログラムを作って提出することが要求されていました。一般に、自分が作らなければならないプログラムに近い動きをするプログラム見つけることは簡単ですし、それを手元において、部分的に数字を置き換えて思ったとおりに動作させることは難しいことではありません。プログラムがブラックボックスに見えたとしても(つまり、ブラッグボックスであるプログラムの中身はわからなくても)、ブラックボックスに付いているダイアル目盛りを変えて使うような使い方ができるのです。こうやって、プログラムを書いている人たちには、プログラミングとはそういう微調整をする作業にすぎないと誤解をもたれてしまったことがあったのかもしれません。
本来はプログラミングとはブラックボックスの調整ではなく、透明な箱の中で一つひとつの部品の動きが見えるように組み立てを行う作業です。教員たちは、その製作方法を伝授したと思っていたのです。もしも、受講者たちがブラックボックスの調整だと思ってプログラムを作っているとすれば、残念ながら「わかった」のではなく、「わかったつもり」に過ぎないと言えます。このような「わかったつもり」というのは、実は(この科目だけ関わらず)学習している中で、非常にたくさん起こっているのだと思います。
この「わかったつもり」を改善するために、我々は単元ごとに簡単なチェックテストをすることにしました。チェックテストはどのようなものかというと、どうしてこんなに簡単な問題なのかというほどの易しさですが、少しずつバリエーションの違う問題をたくさん出題して、複数出される問題に、全問正答しないと合格できないことにしたのです。ブラックボックスをトライアンドエラーで調整する手法を否定することで、理解に関する振り返りがなされたのでしょう、かなり学習者の理解度は上がったように見えます。
あわせて、プログラミングの授業もプロジェクト学習のような課題を中心とする構成に変更しました。ゲームを作ってもらい、プロジェクト的に楽しんでもらうのです。ただし、初心者がゼロからゲームを作るのは無理なので、非常に簡単なブロック崩しをサンプルとして提供します。最初の何週間かはそのブロック崩しの仕組みを学び、あとはボールの形を変えたり、音を出したりといったことを適当にやってみようという課題です。プログラミング教育における問題はこれで解決したわけではありません。ただ、この変更を終えてから卒業研究の中でプログラミングを行う学生が多くなったとは感じました。自分のプログラミング能力で問題解決をできている卒研生をみて、嬉しくなりました。
病院とのプロジェクト
プロジェクト学習の一環で病院と共同のプロジェクトを行ったとき、当時商品になったばかりのiPadで、モグラ叩きのゲームを作りました。循環系の障害のため、手を動かしにくいような人でも、モグラがぴょこんと出てくると、楽しさもあって、つい押してしまうのでリハビリに使えるというのです。このゲームがリハビリに使えるということを病院の方から聞き、ITやデザインが医療の現場に貢献できると考えました。
我々はこのiPadのゲームを「リハビリくん」と名付け、実際に病院内で使ってもらうことができました。また、その様子がNHKで全国放送されると反響がありました。養護学校などからも問い合わせがあり、学外の2か所で利用していただいたというのは、良い思い出です。
研究と教育の関係
さまざまな研究をしてきたなかで、開学のころから始めて、今も取り組んでいる研究があります。
会社でコンピューティング技術に関わる研究者であった私は、未来大に来たら、コンピュータシステムとして、機械の中の仕組みの話として完結するような研究ではなく、コンピュータを用いる人間側にいる、たとえば、芸術的側面を研究する先生たちと一緒に、「どうして我々には、創造的な絵が描けないのか」というような、より人間に関わる疑問を解決しようと思っていました。
そこで、最初の夏に木村健一先生と一緒に芸術に関わる研究を始めました。木村先生といろいろと試みているうちに、図柄を発生する装置のようなものを作りました。次の年には柳英克先生もそれを使って作品を作ってくださいました。その展覧会を10年以上に渡って4回ほど開きました。
ここでは、十分な説明はできませんが、我々の興味は、美術的な表現を言葉によってどのように制御できるのかというようなことに関わります。最近は生成的AIでも言葉を入れると絵が生成されますが、あれもその解の一つと考えられるかもしれません。しかし、そのようなシステムが現れたことで我々の取り組んできた問題が解決したかというと、そうは考えていません。この研究でずっと言葉と表現の大切さを考えてきたことは、プログラミングの教育にも深いところで大きな影響を与えたと思います。
卒業生へのメッセージ
時代とともに技術は進歩します。我々の研究がコンピュータのハードウェアやソフトウェアからユーザビリティーやデザインへと移り変わったように、テクノロジーも移り変わります。時がたてば、現在の大学生が勉強していることの多くが学びの対象ではなくなっていきます。
それは進歩の早い技術分野の宿命です。大学教員は知識を絶えず更新していかないと教えられなくなりますが、知識の整理をAIに任せるとしても(自身の見通しが持てなければ)うまくいきません。技術と深い関わりを持ち続けなければならないのは、教員も、現場にいるエンジニアも同じです。だから、常にアンテナを立てて新しいことを学び、絶対に今学んだところに安住しないことを心がけてほしいと思います。
現役の学生の人たちには、大学時代はエンジニアリングという技術やサイエンスにかかわる知識を身に付けてほしいと思います。そして、大学を離れて後は、社会の成り立ちをわきまえた上で、社会の中でエンジニアの果たすべき役割を考えるような、より幅の広い学びを続けていただければと思います。