[Message for FUN]
令和5年3月18日にゼミの卒業生を集めて近況報告の形で最終講義を行ったという木村健一先生。一番上の卒業生は今年42歳になるそうですが、これが丁度、木村先生が23年前に着任した当時の年齢と同じとのこと。このインタビューでは木村先生がこれまでに未来大でなさってきた「美学」と「情報デザイン」にまつわる教育と研究の興味深いお話、そしてこれからの学生の皆さんに対するメッセージを伺いました。
木村 健一(美学、情報デザイン)
情報デザインと美学
公立はこだて未来大学開学時に着任して23年になります。これまで教育活動として取り組んできたのが、学部生を対象とした教養科目の「芸術論」と専門科目の「情報デザインⅠ」などで、他には卒業研究があります。大学院の講義では、「メディアデザイン基礎」を担当していました。
担当科目の筆頭に「芸術論」と書いているように、専門は美学になります。未来大は情報系の大学ですのでその分野で言うと、「情報デザイン」という実務に近い分野の教育を行ってきました。
情報デザインは、直訳的に言うと「情報の設計」という意味になります。造形的な表現の中では新しく、ここ20年くらいの実務分野です。ところが実は、情報デザインは大昔からの美意識から成り立っています。そういう意味で非常に古典的な造形のルールや物の見方のようなことを、学生諸君と一緒に考えてきたということになります。
芸術論の講義の中では、産業革命以前の美術史とそこから生じているさまざまな様式や表現方法を、教えるというより、一緒に手を動かすという感じで学んでもらっています。そういった様式が若い情報デザインの中でも、基礎になっていると思うからです。
ウェブサイトに良く見られる、ユーザインタフェース(UI)にしても、基本的にはそのレイアウトに「グリッドシステム」というものを使っています。聖書の印刷が始まった15世紀、印刷は四角形の箱に四角形の活字を組むことで行っていました。これは四角形を並べて列と行を作ることなので、基本的にはすべてグリッドになります。聖書も現在の出版物もウェブサイトもその意味で、すべてグリッドでレイアウトされていることになります。
こうレイアウトすると綺麗だ、文字が認識しやすいといった試行錯誤を600年くらい続けてきたわけです。今のUIも基本的には文字と図の組合せのレイアウトです。情報デザインには新しいという印象がありますが、歴史をたどると、基盤はグリッドシステムなのです。
ユーザインタフェースのデザイン
10年くらい前から、UI/UXという言い方が一般化してきました。ユーザインタフェース(UI)はメディアと人間の間にあるモノのデザインで、一方、ユーザエクスペリエンス(UX)は経験つまりコトのデザインを表します。これらについて、私なりのアプローチで教えてきました。
ウェブサイトなどもそうですが、どんなサービスや製品も、立ち上げ期には、何か変な感じ、使いづらさがあるものです。開発者が一番熟達した使用者なので、だんだん作っているうちに無意識に自分に都合のいいように不具合を上手に使いこなしてしまうのでしょう。
私のゼミの卒業生でPOSシステムの開発を行っている人がいるのですが、実際にシステムが使われているスーパーの現場に入って、ユーザから直接フィードバックを集めるそうです。メーカーの場合は、きちんとユーザビリティテストを行ったり、様々な調査を行ったりしますが、それでも分からないことはたくさんあります。UIに定量的なデータのみでは示せないものがあるのです。
未来大では学部3年生になると10人くらいのチームでプロジェクト学習を行い、その中で、小さなシステムを開発することがあります。チーム内でUIを設計する人とシステムを作る人などに分かれ、議論することを通じて、ユーザと開発者のズレを学生のうちに体感することになります。
対称と非対称のレイアウト
学生時代、私はグラフィックデザイナーの杉浦康平さんの事務所に出入りしていました。日本におけるグリッドシステムの父のような方です。杉浦さんはグリッドシステムを世界に広めたドイツ・ウルム造形大学にグリッドシステムを教えに行き、中東やアジアからの留学生たちに接する中で、デザインが多様性に満ちていることを再認識します。日本に帰ってくると180度方向転換して、新しいデザインのシステムを作り始めます。
例えば日本の立派な家には、門かぶりの松(松の枝を1本だけ長く横に伸ばして、その下を通れるようにしたもの)があります。日本人の造形的な美意識によるものですが、ヨーロッパの木の刈り方や配置の仕方とは全く異なります。シンメトリーではなく、松なりに生えているように見える(ように刈っている)。
対称的なグリッドのレイアウトと非対称的なレイアウトは非常に異なります。多分それは、東洋から中東にかけてのアジア圏のレイアウトの考え方と、西洋的なものの見方の違いです。
杉浦さんは私に、西洋的なものの見方とは違う価値観があるということを教えてくれました。もっと言うと、もともとみんなが気づいていたことを、レイアウトという側面でデザインの領域に取り込んでくれたということです。私自身、非常に影響を受けました。
協創的な物づくり
情報デザインの分野では、公共空間にはどのような物を作ったら良いのか、という実務寄りの研究をおこなってきました。公共物は協創的に作らなくてはならないので、今風の言葉で言うと「コミュニティーデザイン」によって物を作るときの手法に関する研究です。
例えば函館市の中心市街地を活性化地域に指定して、そこで様々な企業の方や住民に集まってもらいワークショップを開き、活性化のためにはどうしたら良いのか、という話し合いからスタート。実際に拠点施設が出来たら、そこへのアクセスの方法を考えるなど、どんどん発展させていきます。
意見の集約のためにはワークショップを行う必要があります。公共には必ず相反する課題があるので、ワークショップの中での対話によって、参加する自治体、企業、住民それぞれの思惑が出てきます。その中でどう実現していくのかを考えるのはデザイナーにとって非常に興味深い、大事な取り組みです。特に協創的にデザインを進めていく時には、とても大事なプロセスだと思います。
ワークショップには学生も参加し、ファシリテーションを経験したり、様々な意見を集約して発言の関係性を調べたりします。他には、こういう感じのものを作りたいと言われたら、絵を描いたり、シンボルマークが必要だったら考えたりということをします。
メッセージ
未来大の学生さんは、地頭の良い人が多い。だから、仕組みを作ろうとすると、過去の人たちの知識や経験の蓄積をうまく組み合わせたくなります。それも非常に重要なのですが、設計して物を作ろうとしているときは、自分の体の動きを素直に取り込むことが大切になります。
普段の自分の体、目の動きなど、自分自身からスタートして、他者はどうなっているのか、ユーザー全体はどうなっているのか、と考えていけば、さまざまなことを解決できると思います。盛んに一人称研究と言われるようになりました。自分の体の動きと他人の体の動きにはリンクする部分が多くあります。だから、自分の体から考えるようにしてほしいですね。
科学的なアプローチにおける客観性は、定量的に示すという意味で、とても重要なことです。だけど今の話は主観的な話です。主観ということはまさに一人称的にUIを考えるという話になります。客観と主観の両方が必要なのです。
機械は定量的に設計せざるを得ません。ところがUIを挟んでこちら側は人間です。人間は主観的なところからスタートしないと、なかなか分からないものです。定量的に定性的に測ろうとしても限界がある。だから開発する時には自分自身の主観的な部分をあまり否定してはならない。肯定的にとらえた上でさらに客観的な部分も合わせるのが良いのだと思います。
未来大は創設以来、「オープンスペース・オープンマインド」で新しいものを作る、仕組みを作る、システムを作るということをしてきました。だから、そういったことにオープンにコミットできる人であってほしいし、そういう志向の人に未来大でシステムやデザインについて学んでほしいと思います。
昔のことも否定しないけど、これからのことも否定しない。オープンであることが大切です。