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2023-06-05

[Message for FUN]よく読む、よく見る探求(川嶋 稔夫)

[Message for FUN]

読書スピードはなぜ人によって速かったり遅かったりするのか。人間の視覚に注目して、読書を支援する研究を続けられてきた川嶋稔夫先生。一方で、函館の貴重な文化的資料をデジタル化することで、新たな楽しみ方や発見につなげてきました。退職したら、ボランティアで新たな資料のデジタル化に携わっていきたいと仰っていました。このインタビューでは、先生のこれまでの研究とその意義、学生の方へのメッセージを伺いました。

川嶋 稔夫川嶋 稔夫(視覚情報支援、ミュージアムIT)

 
読書を支援する

私は視覚情報支援、読書支援の研究を20年やってきました。人は視覚を使って文章を読みます。読むスピードが速い人もいれば遅い人もいます。それにはいくつかの理由があります。

人の視覚は、目の向いている正面(中心視)はよく見えますが、そこから少し外れたところ(周辺視)は、おぼろげな情報しか見えません。中心視は文字を読めても、周辺視は全く字が読めません。

そのため、本を読む時は、例えば眼を左から右に繰り返し動かす必要があります。この動きが上手に出来ないと、読むスピードが遅くなるのです。

いわゆる速読のように読み飛ばすのではなく、読むのが遅い人の読みが速くなるようにするにはどうしたらいいのか。どうしたら目を上手に動かせるようになるのか。20年以上、こういった研究を行ってきました。

最初は、周辺視にマーカーのようなものを表示して、次にどこに目を動かしたらいいのかを提示したのですが、目に対する負担が大きいだけで、読むことに集中できませんでした。

それから10年ぐらい経ったころ大日本印刷の方が相談に来ます。その方のアイデアで、文字を配置する時のレイアウトの工夫によって読みの支援ができないだろうか、という共同研究が始まりました。

例えば英語の場合は分かち書き(単語と単語の間に空白を入れる書き方)をします。日本語もそれで読む速度が向上するのかというと、そうではないことが既に知られていました。

そこで、言葉を文節に分けて、各文節の高さを少しずつずらして並べました。すると、周辺視で見たずれの情報を使って、目を動かす位置を予測することが出来るようになったのです。

一方、今の印刷物の1行の最後は、文節の終わりではありません。普通は中心視を一度向けるだけで、文節は大体読み取れるのですが、1行の文字数を決めて文節の途中でブチッと切ってしまうと、1つの文節を2回に分けて読まなくてはなりません。そこで、1行の最後を必ず文節に対応するようにしました。

行を30文字などの固定文字数で改行しはじめたのは、明治20年くらいから日本で広まった活字文化が原因です。文節で改行すると必要な面積は大きくなり、ページが増えます。出版物を活字で印刷するようになると、経済的な理由だと思いますが、文章は一定の長さに切られるようになってしまいます。

今のように電子書籍の時代になると、ページが増えたところで誰にも怒られません。読みやすくするために文節で区切るということが非常に効果的になってきました。

この研究は、読むのが遅い人の支援だけではなく、病気の人の支援にもつながります。例えば、中心性視野狭窄の人の場合、周辺視の情報がなくなってしまいますが、それに合わせて文章のレイアウトを設計し直すことによって、読むスピードを速くすることが出来ます。

今研究を進めているのは同名半盲という、脳が原因で起きる、視野の正面から右半分もしくは左半分が見えなくなるという症状の場合です。読んでいる時にうまく目を動かせないので、読む速度が非常に低下してしまうのです。

病気の時でも読みやすくするための研究は、もちろん病気の人にも役立ちますし、読むのが遅い健康な人にも活かすことが出来ます。

ミュージアムIT

博物館や美術館にあるような作品を、デジタル技術を使うことによって、より楽しく見てもらう。ミュージアムITというテーマでの研究も行ってきました。

函館市は北海道の中で見ると比較的、歴史が長いので、例えば幕末、明治維新の頃の資料やそれよりも前の江戸時代などの資料があったり、道南だと中世ぐらいからの資料もあったりと、貴重さでいうとトップクラスの資料が残っています。

函館市中央図書館は、前身となる図書館が明治の終わりぐらいに始まり、さまざまな資料を集積していたので、印刷物や写真がよく揃っています。

2003年に函館市中央図書館の館長が中山さんという方に変わり、新しい建物を作るから資料のデジタル化に協力してほしいということで、デジタルアーカイブを作ることになりました。最初は、写真や印刷物のデジタル化から始まりましたが、途中で、絵画などもデジタル化できないかという相談を受けました。ここでその中から2つの作品を紹介します。

最初に撮影したのが蠣崎波響という画家が描いた釈迦涅槃図です。函館市の高龍寺で、年に1回開かれる涅槃会(ねはんえ)という行事の時に公開されてきたものです。

蠣崎波響(かきざき はきょう)が描いた釈迦涅槃図
蠣崎波響(かきざき はきょう)が描いた釈迦涅槃図

2枚の絵を並べて1つにしてあり、1枚の絵は高さが約3メートル、横が約1.4メートルあります。高解像度でデジタル化して自由に拡大縮小できるようにしました。左側で横になっているのがお釈迦様です。

さまざまな面白いことに気づきます。例えば、この「耳毛」を描くというのは非常に不思議です。描くことにどういう意味があるのでしょうか。かなり大きく、公開時も壁に掛けてあって、その前にお供えなどが置かれるので、たぶん誰もよく見ていなかったのだと思います。

江差屏風という、江戸時代中期のニシン漁で活気にあふれる江差の町とその周辺を描いた屏風絵があります。縦が2メートル弱で横が4メートル弱あります。これもデジタル化しました。花見をしている人たちの様子や、漁業に関わる作業している人たちの様子などが見られ、どんな暮らしぶりだったのかなと推測することができます。

江差屏風
江差屏風

撮影には自分たちで装置を用意しました。絵画などを床に置き、その周囲に縦軸、横軸となるレールを敷き、下向きにしたカメラを動かして撮影します。釈迦涅槃図の場合は1200枚ほど、江差屏風の場合は600枚ほどに分割して撮影し、コンピューターを使って自動的につなぎ合わせました。

私の感覚的なものかもしれませんが、鑑賞する時には描いた人と同じぐらいの距離で見るのがいいと思います。大きな絵画でも描く時には、手を伸ばして届くぐらいの距離で描いて、ときどき後ろに下がって絵を確認していたのだと思います。このように、描いている人の気分になって見ると、その人が描きたいものの大きさなどが見えてくると思います。

デジタル化することで資料の細かいところに気づくようになり、気づいていく面白さ、鑑賞のポイントのようなものが分かってきます。そうやって実物を見る前に予習する時間があると、博物館や美術館に行った時、身近な作品として近づいて「ここ、ここ」などと見ていくことが出来て、面白いだろうなと思います。

これまで撮影を依頼してきた博物館や美術館の学芸員、美術史の研究者は撮影した後でじっくりと見ながら、いろいろと発見しているようです。参加した学生も、普段は出来ないくらいの近距離で実物に接して、学芸員がどのくらい慎重に扱っているのかを目の当たりにすることで、美術品にどう接したらいいのかが少しずつ分かってくるようです。

情報系の研究のこれから

ここまでの話を聞くと、「どこが情報系の研究者なんだ」と思われるかもしれません。現代は、世界の認識や理解、表現に情報系分野の研究の中心があります。でも将来は、そのさきにある、文字や絵が伝えようとしていることと人の関係の研究に向かって欲しいなと思います。

情報技術の研究者は、情報を提示さえすればいいのだろうと、たとえば、VRなどを使って全部の説明の情報を過剰に提示するようなことをしてしまいがちです。ですが、それでは人は対象に関心を示さなくなります。むしろ「なぜか耳毛が生えている」ことに気づくようなきっかけこそが、自分から進んで情報を見つけようとする関心を生み出すのではないかと思います。

メッセージ

学生には、指示をされて研究に取り組むよりは、大きなことでも小さなことでも、自分の目で気がついたことを大事にしてほしいと言ってきました。技術的で専門的なことは就職してから役立つかもしれませんが、それと同時に個人として普段の生活が豊かになるような、人生を豊かにするような勉強の仕方をしてほしいと願っています。

そしてこの世界は森のようであってほしいと思います。森には、背の高い木もあれば低い木もあり、動物がいたり虫がいたり、土の中には菌がいたり、キノコも生えていたりします。例えば、キノコの菌糸がなかったら木が生えないぐらい、両者には強い共存関係があったりします。ところが、我々はつい人工的な林を作ってしまいます。目的を決め、どんどん植えて、同じ種類の木しか生えていない状態にする。そうすると効率的ですが、変化に弱い世界になってしまいがちです。多様性のない世界は、環境が変化した時に可能性が限られてしまうのです。

生き物の世界の多様性と同様に、学問の世界や大学も、そのような世界であってほしいと思います。

価値観はどうしても時代と共に変わっていきますが、森のような多様性を認める大学にすることによって、社会の変化や環境の変化に対して、着実に対応していくことが出来ます。

みんな同じ方向でモノを考えたり、単純な原理ですべてを仕切らない。そういう大学であってほしいなと思います。