Activity
2016-04-01

研究と教育あっての、地域貢献
【対談】片桐新学長×中島前学長

旅立ちの春。本学でも中島秀之2代目学長からバトンを受けて、4月より片桐恭弘新学長体制がスタート、公立はこだて未来大学の新たな季節が始まります。公立大学としてのミッションとは? AI(Artificial Intelligence: 人工知能)の未来はどうなる? 新たな教育システムへの取り組み…etc. 対談では、中島前学長の着任時からこれまでを振り返り、大学の明日へ託す思いと構想を語り合っていただきます。

片桐恭弘学長(以下、片桐)  中島さんが着任されたのは2004年。赴任されたときの函館の印象を振り返っていただけますか?

中島秀之前学長(以下、中島)  大学からお誘いをいただいたとき、基本的には学生が非常にいいか、食べ物がうまいところにしか行かないぞというのがあって(笑)。函館は食のレベルが高い。海産物がおいしいのは知っていたけれど、それ以外の食べ物も全般にうまい。野菜や果物、東京のマーケットにあるようなものも、おいしくてびっくりしましたね。それと、自然の豊かさ。函館市内から車で40分ほどで大沼国定公園、そこに大沼国際セミナーハウスというコンベンション施設があるんですが、「朝から鳥のさえずりが聞こえていいですねぇ」と言ったら、そこの人は「えっ?」と怪訝な顔をする。東京に長く暮らした人間にとってすごく感動するようなことが、地元の人には当たり前だったりする。都会暮らしの人間にはとても贅沢な環境です。

片桐  函館には食の魅力もありますが、独特の歴史を持ったまちです。

中島  歴史がある、イコール保守的なところも感じられます。「明治時代はよかった」みたいな感覚をどこか捨てきれないでいるのでは? 動きが遅いといえば遅い。「動かなきゃ」という危機感がないのかな。北海道人は新しもの好きとはよく聞くけれど、函館人はすぐには飛びつかないですね。北海道にあって北海道らしくないというか。

片桐  本州の延長線上にあると言ったらいいのでしょうか。函館にいると札幌より東京のほうが近い感覚がありますね。方向としては札幌より東京を見ている。教員たちも札幌へ行くより東京へ出向くほうが率としては高いですね。
さて、学長職としてまず着手されたことは何でしょうか。

対談中の中島前学長中島  ここへ来るまでは研究一筋だったので、着任後は学長としての教養を身につけようと(笑)、それまで読まなかった歴史の本を読んだり、特に函館関係の本はよく読みましたね。函館は歴史・風土の個性が際立っている。圏域人口も30万人ほどで、このコンパクトさも研究・教育には有利です。
着任してわりとすぐに思ったのは、「これからは公立大の時代だな」と。国立大は定義からいうと、国のために教育しているがちょっと見えにくい。特に地方の国立大は、国のためなのか、地方のための教育なのかよくわからないところがある。2000年頃からは受益者負担論をもとに授業料も引き上げられるなど、国の教育理念が薄れてきたころなんですよね。こういう状況のなかで公立大というのは地域を、本学の場合は函館圏をメインターゲットにすればいい。そういう意味では地域貢献をゴールにするというのは非常にわかりやすい。面白いことに今や地方国立大が公立化し、地域貢献をうたい始めている。

地域貢献をトッププライオリティに据える

片桐  2006年に中島さんが掲げられた、大学の目標を図式化したものがありますね。地域貢献がトップに置かれています。

三角形の上から地域貢献、教育、研究と分割された大学の目標図中島  あれはね、ちょっと自慢なんですよ。他大学の学長から「明快な図だ」「うちでも使いたい」という声もいただいています。平面に描いているので三角形になっていますが、ピラミッドのイメージです。体積の比率からいうと裾野の「研究」が最も大きく、トップが小さい。トッププライオリティは「地域貢献」ですが、最も資源や資金を投入するのは「研究」、次に「教育」があって、最終的にそれらが「地域貢献」に収斂する。理屈として土台(研究・教育)をしっかり固めなければ、上が立たないということです。

片桐  研究では“目指せMIT”ということで、独自の重点研究「Marine IT」「Medical IT」「Mobile IT」に取り組んできましたね。これからという視点では「Museum IT(情報展示)」「Municipal IT(地方自治の情報化)」という構想もあります。ITで“社会をデザインする”という本学の理念が、さまざまな形で地域貢献につながっています。

中島  “目指せMIT”について。本学をデザインしたのは数学者の広中平祐(ひろなか・へいすけ)さんとその門下生たちなんですよ。広中さんとは、毎年1回は本学に来られてお話しする機会があるんですが、その時にうかがった話。彼はハーバード大(名誉教授)でしょ。MIT(マサチューセッツ工科大)が新しくできたころをよく知っているわけ。名門ハーバードのそばに、小さいけど何か面白そうな工科大学ができたぞ、って。その話から本学も東大のそばの、小さいけれどユニークな大学になればいいなと。で、“目指せMIT”。ちょうどMedical ITとMarine ITが動き始めていて、Mobile ITも含めて、全部「M」でくくる「IT」にしちゃおうと走り始めた。メディカルもモバイルも函館のまちに出ていったし、マリンは国内はもとより海外の海洋問題にも貢献していますね。

新幹線開業と青函エリアのポテンシャル

片桐  地域貢献というときに私たちは何をすべきか。学業から離れたボランティア的な活動で地域に貢献するのではなく、やはり自分たちの専門分野で地域とつながっていくべきですよね。本学は情報系の大学。ITは社会のさまざまなシーンに関連するものなので、地域社会とさらに関係を深めていきたいですね。

中島  わかりやすく言えば、函館のすべての企業に本学の学生を1名ずつ送り込みたい。地域貢献は大学の専門と一体化したものであるべきです。たとえば本学の情報デザインコースが企画制作した北斗市のキャラクター「ずーしーほっきー」については、デザインの制作手順からアンケートの取り方、集計、評価の仕方まで一連のキャラクターデザイン作業を教え、制作しました。まさに専門教育と合体した地域貢献ですね。

情報デザインコースには大手自動車メーカーの元デザイナー、AV機器メーカーでカメラをデザイン開発していた人、東京芸大、美大出身者など、教員レベルは非常に高く、さまざまな分野のスペシャリストが集結しています。「未来大でなら面白いことができる」と考え、公募に応えてくれたやる気のある実力者揃いですね。こういった教員陣の指導も大きく影響していると思いますね。
私たちは函館圏公立大学広域連合(函館市、北斗市、七飯町の2市1町)の“道具”です。自治体が立ち上げた大学なのですから、今後ともどんどん道具として活用してほしいですね。

片桐  私たちが貢献できるメインの圏域は函館および道南エリアですが、北海道新幹線開業で東北がグンと近くなりました。青森には青森公立大学があり、もともと行き来は活発でしたし、青函エリアも視野に入れた展開ができたら面白い。

中島  そうそう、青森公立大とはある意味非常に仲がいい。近隣市町村の広域連合でできた公立大学は最近増えてきているけれど、少し前までは全国で4大学しかなかった、うちと青森、釧路、宮崎。この4大学で巡回会議を年1回開いています。私たちが法人化するときも、青森が先行していたので、話をよく聞いたりもしましたね。縁が深かったのと、青函ツインシティというくくりから、さらに新幹線も来るということでワークショップも開催しています。

片桐  もともと縄文時代には函館も青森も同じ文化圏を形成していたエリアです。

中島  函館には青森の三内丸山遺跡より大規模な縄文遺跡があったようですね。埋め戻してしまったようですが…。先日札幌から北海道教育大学の学長が来られたとき、「縄文をキーワードに何かできないですかね」なんて話が出たんですが、面白そうです。遺跡発掘、遺跡保存、モデリングなど情報技術でできそうなことがいろいろありますから。

AI第一世代に育った私たちがみる、第3次AIブーム「ディープラーニング」

中島  最近、グーグル傘下の企業が開発した囲碁ソフトが世界トッププロ棋士に勝ち越したって話題になったね。チェスは「先読み機能」でAIが勝利した。将棋は、それに加えて棋譜を読む「学習能力」の進化でAIの勝ち。囲碁は、さらに「確率」を加えたんだね、モンテカルロ法という。それで一気に強くなった。しかし、グーグルのアルファ碁はモンテカルロ法ではなく、ディープラーニングと先読みを合わせた手法で更に強くなった。

片桐  もう少し先の話になるんだろうと思っていたけれど、思ったよりコンピュータの勝つのが早かった。

中島  これはうちの松原仁さん(複雑系知能学科教授、人工知能学会会長)の受け売りなんだけど、グーグルのコンピュータパワーがあっての勝利であって、あのプログラムを持ってきても他の人には真似できない。コンピュータが遅すぎて駄目なんだ、と。コンピュータの速度とデータ量が勝敗を左右はするけれど、ただそれだけで何でもできるわけではない。

片桐  私たちは東大時代、同じ研究グループでAIをやっていましたね。当時、人工知能を教えてくれる講座はあまりなくて、仲間でよく集まって自主勉強会をしたり。

中島  AIを学生時代から学んでいた第一世代なので、それなりの自負はあるよね。AIは「探索・推論」の時代から「知識」の時代を経て、今は第3次AIブーム「ディープラーニング(深層学習)」の時代といわれている。ディープラーニング=AIという見方について。AIは大きく分けて2つの流派があって、ひとつが記号として扱う派、もうひとつは神経回路網、いわゆるニューラルネットワークという脳モデルを研究する派。ディープラーニングというのはニューラルネットワークという昔からあったもののいわば改良版ですよね。すごく能力が高いことはわかってはいるのだけれど、これがすべてだと思ってかかると、見落としが結構ある。不得意ももちろんあるわけ。

片桐  私たちが学生時代に始めたのは記号のAI、これについては哲学者からの反発が結構ありましたね。つまり知能は哲学の専門領域と思っていたところに、「知能を計算機で説明します」みたいな形で入っていったので。実際の能力はそんなにたいしたことないんです。まだ初期の頃でしたし。その後進化を重ねて医療の診断などに応用できるようにはなっていますが、でもまだまだ人間のレベルまではいかない。

中島  昔から脳科学をやっている人たちにとっての“不思議”は、こんなに遅いデバイスでどうしてあんなに早く計算しているんだろう、という。たとえば知り合いが向こうから歩いてくると、「ああ、あの人だ」とわかる。今のコンピュータはパッとはわからない、時間がかかる。ここに目がある、鼻があって、口があり…「ああ、あの人だ」と認識する。ヒトの脳が全体の雰囲気を先に捉え誰それと認識する、いわゆる「トップダウン」だね、あのしくみが“不思議”でまだよくわかっていないんですよね。

対談する片桐学長片桐  「AIが人間の知能を超えてしまうのでは?」といった、そういうある種怖れみたいな受け止められ方が最近出ている。反面で、「機械が誤診したらどうするの?」という、かつての猜疑が今や問題にならなくなってきている。ビッグデータでコンピュータがやってくれるのであれば、医者よりもっと信頼できるんじゃないか、というように。そこのバリアをすっと超えてしまいそうなところが、様変わりしたというか。記号的なAIと、ビッグデータに基づく学習能力、これは対立するわけではなくて、双方がどううまくつながっていくか、という話だと思う。
以前はAIで人間の代わりになるような知能をつくってみるんだというのがひとつの典型でしたが、今は人間とどう共存するか、そういうところを攻めていく。計算的な思考、概念、方法論というのを考えた時、AIは理論的な道具としてかなり力はあると思う。単に道具としての計算技術ではなくて、物事の考え方や社会システムの捉え方を提供するものである、と。今後もそういう形で進んでいくであろうし、進んでいかなくてはならないと思っている。

バトンに刻まれた継承のポイントとは

片桐  CML(Center for Meta Learning、メタ学習センター)設置、学科の改組、高度ICT(Information and Communication Technology、高度な情報通信技術)コースの開設など、中島さんが在任中に達成された事項は数多く、バトンを受ける私としてもこれらを維持発展させていく使命があると感じています。

中島  達成事項のひとつ、CMLは2008年の設置ですね。設置の原点となったのは、日本IBMが主催する「天城学長会議」でした。年1回、国立大、公立大、私立大の学長から選ばれた50名ほどが一堂に会する場で、しかも国公私がオフィシャルに集まるのはこの会議だけなのです。ここで国際基督教大学、沖縄の名桜大学のリベラルアーツへの取り組みを知り、大いに刺激を受けたのが始まりでしたね。
教養とリベラルアーツは似ているようで力点の置き方が全く違う。教養は知識詰め込み型といったらいいのかな、どこかそんなところがあり、一方リベラルアーツは「アーツ=技術」、独立して考えることのできる技術、能力を指します。自由人であるための技術を学ぶ、という意味合い。これに共感し、本学でもやるべきだ、と。本学では英語授業は無く、コミュニケーションという課目があります。語学をやるのではなくて、コミュニケーションのためのツールを学ぶという趣旨ですよね。これをさらに発展させて、リベラルアーツとコミュニケーションを合体しCMLをつくった。

片桐  リベラルアーツという言葉の受け止め方にもいろいろあり、当初は戸惑いもあったかも知れませんが、リベラルアーツを組み込んだCMLが教員たちに受け入れられたのは、単なる英語という語学授業にとどまらないプレゼンテーションなどを積極的に組み込んだコミュニケーションに取り組んでいたからだと思いますね。メタ学習的な、今のことばで言うとアクティブラーニングを、話題だからやりましょうとか、上のほうから言われるのでやるというのでは決してうまくいかない。この大学なりのうまいやり方というのかな、ぎくしゃくする部分があったとしても試行錯誤しながら見つけていける。現在のCMLのコアメンバーは経験を積んできているので、彼らに宣教師的な役割を担ってもらってさらに広めていきたいですね。

中島  CMLの成果はじわじわと現れてきている。センター設置の4年後には「メタ学習ラボ」も活動を開始しています。もともとは大学での学習に問題を抱えている学生をどう導いていくかというのが大学の課題としてあったんですよね。その解決策のひとつとして、学生が学生を教える「ピアチュータリング」という手法が効果があるという話が出て、メタ学習ラボができた。

片桐  メタ学習ラボは、指導側がわからない部分の答えを教えるのではなく、自力で解く学習の方法を互いに学び合う課外学習支援ですね。本学のメタ学習ラボは2015年に『ITTPC国際チューター育成プログラム』の実施機関として認定されています。指導役のチューターは事前にこの国際基準に基づく研修プログラムを受け、伝える技術を磨きます。教えることによって学び直しができるという側面があるので、結果チューターが伸びます。就職の際にも、企業の評価は相当違うんじゃないかと思いますね。

中島  学科改組もエポックでした。2010年には「複雑系科学科」と「情報アーキテクチャ学科」を、「情報アーキテクチャ学科」と「複雑系知能学科」に再編した。知能と複雑系って、ほおっておくと水と油のような関係なんですが、知能を持つシステムは実は複雑系なんですよ。これを一緒にした研究が出てくると面白いだろうということで、1年くらいみんなで議論してもらって学科の構成を変えた。うーん、どうだろう、ちゃんと融合するまでには至っていない?

片桐  当初はかなり異質なものを一緒にしたな、という感はありました。今は知能と複雑系とどのように接点をとるとうまくいくのかな、と模索している感じです。新たな枠組みができたことで「複雑ネットワーク」のような、間に入るような話は出てきていますね。最初は結構強引でも、くっつけてみることによってある種の緊張感をもった交流も生まれる。
うちの大学はオープンスペース、オープンマインドという精神のもと、教員同士の交流は非常に活発です。自分のフィールドのなかで研究活動をされている他大学の教員環境と比べるとかなり違うと思いますね。これまでやってきた自分のコアの研究を、違う分野に適用してみる試み、その逆もありで、そういった点は本学の強みといえますね。どううまくハンドリングしていくか、というのが学長のミッションのひとつでもあると思っています。

中島  この学科改組と同じ年、2010年には学部・大学院一貫(6年制)の「高度ICTコース」を開設しています。学部は4年で卒業し、その後研究科へ進むと2年のマスター(博士前期課程)と、3年間さらに研究テーマを掘り下げるドクター(博士後期課程)があります。学部ではジェネラルな知識を持ったITの専門家を育成し、マスターでは大学卒よりもう少し深い人材、ドクターを修了すると研究者か教育者となりますね。ただ、この3課程では、真ん中のマスターがどうも中途半端なんですよ。そこで6年一貫教育を目指す、新たな課程を開設したのです。情報システムコースでは3年次へ進級する際、これまで通り2年間学んで大学卒の道に進むか、さらに4年を重ねてマスター修了までの道を選ぶか、2つの進路を選択できるようにした。

片桐  本学で先駆的に取り組んだプロジェクト学習が非常にうまくいっている。学生の自発性、自主性を促し、函館の地の利もあって実社会と接触しながらプロジェクトを進めている。高度ICTも同様で、プロジェクト学習のもう少し大学院寄りのスタンスと位置づけられます。3年次のプロジェクト学習は1年限りのものなので、なかなか使いものになるまでにはいきませんが、高度ICTでは、企業に参画してもらいながら実社会を意識したプロジェクト的なことに取り組みます。研究成果を実社会に着地させるというのかな。それが高度ICTの役割だと認識しています。

中島  6年一貫の高度ICTはすでに稼働していますが、それとペアで動くセンターを2015年4月に立ち上げました。「情報システムデザインセンター」、いうなれば “情報系の大学病院”のような位置づけです。どういうことかというと、3年次にプロジェクト学習をやってシステムをつくる、しかし取り組みは1年間で終了してしまう。システムが完成してもメンテナンスをする人がいないわけです。それをこのセンターで引き受ける、あるいは企業にも参加してもらって、そこで有料で保守するなど。情報システムデザインセンターは、大学病院の情報版を目指し、函館圏のシステムメンテナンスを行いながら、教育・研究を進めるイメージです。

片桐  センターの開設は昨年ですが、高度ICTとペアで動くリエゾンラボのようなものを、というアイデアは以前から温めていましたね。実社会に出せる維持・管理技術となるとリクワイアメント(要求仕様)が高くなってきますが、受け皿があると企業のほうから声をかけていただける可能性も出てきます。そうすると、現実味の高い、シリアスな課題を学生にぶつけることができる。実社会との接点をより多くより深く、と考えると、情報システムデザインセンターという“出力”は本学にとって新たな力になるといえそうです。

「片桐学長、思う存分跳んじゃってください」

片桐  中島さんには初代学長の思いをベースに、かなりしっかりしたものを作り上げ、本学の存在を多方面へアピールしていただいたと認識しています。その花を開かせていく、それが私の課題だと思っています。今後、少子化にともなう入学者減、大学入試改革など、課題はいろいろありますが、それらにうまく対応しながら小さな大学ならではのよさをうまく生かしていきたい。教員たちの水準も高いですし、互いにいっしょにやるという雰囲気も非常にいいので、学内一体となった取り組みを加速させていこうと考えています。中島さんには情報系の社会的地位を高めるということで、これまで以上に活躍していただきたい。

中島  私が着任したころ、本学の知名度は全国的にそんなに高くはありませんでしたが、その点はこの12年でカバーできたかなと思っています。研究関連でのやりたかったこと、取り組むべきことも、概ね達成できました。私の学長としてのスタート時を振り返ると、最初の1年間はおとなしくしていて、初代学長が何をされてきたのかなとじっと見ていた。一緒の時期がなかったものですから。でも片桐さんは副学長として私とともに多くの課題に取り組み、道を拓いてきました。ホップ・ステップ・ジャンプでいえば、3代目学長の片桐さんはジャンプのタイミングにいるわけです。もういきなり跳んじゃっていい。片桐学長、思う存分跳んでください!

●●

思い出話、地域とのつながり、今後への期待と抱負など、バトンゾーンに展開されたドラマの数々。学長交代のリレーシーンを対談という形でお伝えしてきました。この12年間を全力で颯爽と駆け抜けてきた中島前学長のロングランに、あらためてお疲れ様でした! 前学長から託された熱い思いを翼に、片桐学長、ではさっそく跳びましょうか!

(取材:2016年3月)